「私は皆さんに私の目を通じてマケドニアを見て欲しいのです。私の視点は常にコスモポリタンだからです。この小さくて美しい国が永遠でありますように。」2010年4月6日、マケドニアのイヴァノフ大統領からマケドニア勲章を授与された際にエスマ・レジェポーヴァは語った。
「本物のすばらしい歌声で、エスマはマケドニアとロマの音楽を世界に広め、音楽界において世界的な名声を得たのです。」イヴァノフ大統領はエスマの音楽的な偉大さと慈善活動がその受章理由であることを述べ、「今日のセレモニーは世界ロマ記念日である4月8日の2日前に行われました。ロマ・コミュニティーはマケドニア社会の重要な一部であり、エスマはロマの社会的、経済的状況の改善に尽くしてきた先駆者の一人です。エスマは才能、意志、忍耐力の面で常に壁を乗り越えてきた方です。」と讃えた。
<ロマの女王>と称されるエスマ・レジェポーヴァは、勲章が国民のものであること、なぜならそうした人々なしに今日の成功はなかったことを強調し「これはマケドニア共和国に住むすべての国民、すべての民族への賞賛なのです。」と語っている。
エスマ・レジェポーヴァ-テオドシエフスカは1943年、マケドニアのスコピエで生まれ、11歳のときにラジオ・スコピエの歌唱コンテストで一位に輝いた。その後、ステヴォ・テオドシエフスキー楽団に歌手として入り、約30年間歌い続けた。楽団を率いるテオドシエフスキー氏と結婚後、二人は5人の子供を養子にし、それ以外に47人の孤児を育て、2000回以上の慈善コンサートを行い、108枚のシングルと20枚のアルバム、15枚のCDをリリースするなどの活動を行ってきた。1976年にはインドのチャンディガルで行われたロマ音楽歌謡フェスティバルで正式にロマ音楽の女王の称号を贈られている。また、1971年に国際ジプシー委員会が組織しロンドンで開催された第一回世界ロマ会議において、ロマの伝統的な歌に新たな歌詞をつけた「ジェレム・ジェレム」がロマ民族の国歌として採択され、それを歌ったのがエスマだった。
エスマは今回の受章について別のメディアのインタビューに次のように答えている。「今回の受章はとても意味があります。結局人はその仕事や貢献が認められたとき、地元で感謝されることが一番うれしいのです。これまでにもたくさんの賞をもらいましたが、今回のものと故チトー大統領から授けられた賞がもっとも心に響きます。」
(市橋雄二)