「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などで常に問題作を送り続けているデンマーク映画界の巨匠にして鬼才、ラース・フォン・トリファー監督の新作である。2009年カンヌ映画祭でも激しい賛否の渦にさらされたようだ。
幼子をふとした事故で失った妻が陥った重い精神の病をセラピストでもある夫が、自ら治療しようと、山中の一軒家にこもり、妻の再生をはかる。しかし次第に明らかになる事実とともに二人は悲劇的結末(カタストロフィ)へと進んでいく。
①プロローグ②悲嘆③苦痛④絶望⑤3人の乞食⑥エピローグの全6章で構成されるが、プロローグとエンディングで流れるヘンデルのオペラ「リカルド」のアリア「私を泣かせてください」が清澄な曲調だけに、物語の残酷さ、衝撃性、異常性が際立つ。
「アンチクライスト」というタイトルから反宗教性の漂う内容を予想したが、そうした傾向よりはサイコドラマの色彩が強い。反宗教性というとパゾリーニの「奇跡の丘」をすぐ思い浮かべるほどだが、トリファーの場合は己が様々な恐怖症を体験してきた個人的な歴史が色濃く投影された内容である。
パゾリーニはイタリアの地方性、血縁性、郷土性に根付く政治、宗教の呪縛と格闘しながら映画表現の革新性を獲得したが、ついには非業の死を遂げる。
一方トリファーは恐怖症や欝との苦しい闘いのなかから見いだしてきた手法が異常だとして世の常識としばしば対立する。彼の描写の激しさは、北欧の映画や小説にみる道徳の先進性とでもいうべき傾向をしめしているようだ。
これはイタリアと北欧ではキリスト教に対する戒律・姿勢が大きく違うことに一因があるのではないか。そしてトリファーの内面にシャーマニズム・呪術への強い親和性があるような気がしてならない。鹿、トリ、狐などの描写は独特なものだ。
北欧神話の終末観はギリシャ神話が語らない「神々の死」だという。そこには「宗教性」や「倫理性」はなく、あるのは「自然」を見る見方だけで、つまりこの自然世界は「終わる」ということ。
この映画の表現の過激性はこれからも語られようが、そうした表現行為がどこから来るのかを考えるとき、無神論者とされる彼の内面が抱える諸問題と「神々の死」そしてシャーマニズムへの傾斜が複雑にからみあい、攪拌された結果の表現だと解したい。