≪ジェレム・ジェレム便り34≫~弦とコーラスで偏見に立ち向かう:アウシュヴィッツに捧げるレクイエム

  • プラハのルドルフィヌム・コンサート・ホールはヨーロッパにおけるクラシック音楽の殿堂のひとつで、毎年開催される<プラハの春音楽祭>で有名だ。この権威あるホールは誰にでも開かれているわけではない。このたびロマ(ジプシー)の音楽家で構成されるオーケストラがステージに上がったことは画期的な出来事だった。
    国際ロマ・スィンティ・フィルハーモニー・オーケストラは、ルドルフィヌム内にあるドヴォルザーク・ホールで最後のリハーサルをおこなっていた。チェコ出身のチェロ奏者の隣にハンガリーのハープ奏者が座るという具合で、ほぼすべてのメンバーが少数民族ロマである。チャールダーシュやジャンゴ・ラインハルトのジプシー・ジャズではなく、クラシック音楽をジプシーのセンスで演奏する。記者はリハーサルの合間にコソボのプリシュティナ出身のヴァイオリン奏者デヴィッド・ブバニ氏に聞いた。この夜、ロマ・スィンティ・オーケストラは『アウシュヴィッツに捧げるレクイエム』という曲を演奏することになっている。
    「多くの人が知っているタイプのジプシー音楽を演奏するのではありません。私たちはクラシック音楽の演奏家でもあって、バッハやモーツァルト、ドビュッシーも演奏するのです。もちろんジプシー音楽も演奏しますが、今回の目的はロマやスィンティ、ジプシーの人々も戦争の犠牲になったということを伝えることです。」
    『アウシュヴィッツに捧げるレクイエム』はスイス生まれでオランダ在住のロマの作曲家ロジャー・モレノによって書かれた。1998年に初めて訪れたアウシュヴィッツで精神的にショックを受け、作曲のスランプに陥ったという。
    モレノ氏は言う。「この曲はユダヤ人、ロマ、ポーランド人などアウシュヴィッツの門をくぐったすべての犠牲者に捧げるものです。この地で亡くなった人々はユダヤ人であろうがなかろうか、ジプシーであろうがなかろうが皆同じ舟に乗せられていたのです。そこにはなんの違いもありません。彼らは皆同じように死んでいったのです。すべての人々のために記念碑を作ろうではありませんか。この曲にできることは限られていますが、この世界に平和と、宗教や国家の間の争いには寛容をもたらしてくれることを願っています。」
    今年初めのアムステルダムでの初演以来、『アウュヴィッツに捧げるレクイエム』はオランダのティルブルフのあと今回プラハとブダペストで演奏され、さらにフランクフルト、ブカレスト、クラクフでも演奏会が予定されている。どの土地でもロマ・オーケストラは地元の合唱団と共演しているが、これはロマと非ロマの人々を隔てている目に見えない障壁に対する象徴的な挑戦でもある。
    今回のコンサートは欧州連合(EU)とドイツの<記憶、責任と未来>基金が支援するプロジェクトに含まれる他のイベントとも連携している。プラハでの運営を担当するチェコのNGO団体<スロヴォ21>のイエトゥカ・ユルコヴァさんは言う。「私たちはロマの人々は、普段メディアを通して目にする姿とは違うということを示したいと思っています。チェコ国内では最も貧しく、最も問題の多い住民であるというように言われることが普通ですが、ほんとうは技芸に優れた偉大な人々であるということも伝えていきたいのです。チェコのクラシック音楽界は保守的だといわれます。ですから、国で最も権威のある演奏会場にロマの音楽家が出るのは極めて珍しいことです。そういうこともあって、1200枚のチケットはすべて無料になりました。主催者がジプシー・オーケストラのコンサートでチケットが売れ残ることを心配したのです。」
    このことはロマに対する根深い偏見を克服しようとする人々が直面している試練の大きさを物語っている。
    (市橋雄二/2012.11.27)