「武漢封城日記」 郭晶 著 地を這う視線の記録が尊い

武漢は華中地域、長江中流全域の中心都市。1949年、政治の中心・武昌(東部)、工業の中心・漢陽(西部)、商業の中心・漢口(北部)が統合されて武漢市が成立した。中国内陸部最大の交通中枢都市であり、人口は860万の大都会である。

2020年1月23日に新型コロナウイルスの爆発的蔓延により、武漢はロックダウンされた。ロックダウンがどういうことを意味するかさえ誰も知らなかった武漢の市民・庶民の中のひとりの郭晶さんという29歳(当時)のソーシャルワーカーであり、フェミニズム活動家が毎日の想いや武漢の市民・庶民の様子や語らいから感じた諸々を日記にしたためた記録である。

彼女は大学卒業後の就職活動中、女性であるが故の拒絶に遭い、提訴して、中国で最初の就職差別の裁判に勝った体験を持つが、バリバリの活動家という感じの人物ではないようである。それは、この日記を読めば、ごく普通の感覚を持つ市井人であることが分かる。文章についても、達意の文筆家でないことは翻訳を通じても分かるような気がするし、それだからこそ、彼女の想いや悩みや怒り、そして怒りが素直に読者に訴えてくるというパラドックスが成立している。

中国の政情に少しでも関心を寄せるものならば、中国の中での共産党による言論・思想・表現の自由がかなりの抑圧下にあることは常識だが、そうした状況下においてこの「武漢封城日記」が公開され、こうした書物になったことには様々な人々や組織の援助があっただろうことは推察できる。彼女も当局からブロックされ、検閲されたり、ブログの文章はデータ量が制限されたりとか様々な圧力に会ったことを書いている。封鎖下の日常生活は何か特別なことが起きるのではなく、生き苦しく出口なしの閉塞状況の繰り返しである。

「毎日、これが最後の外出かもしれないと思う」(p178)

「ここ数日、沼地でもがきながら前進しているところを、さらに背後からナイフで突き刺されるような感覚がある」(p209)

「人々は希望があるから行動するのではなく、行動することによって希望を生み出そうとしている」(p221)

こうした日常にあって、この日記は、毎日の天気、食事内容、友人等とのビデオチャット、外出許可があるときは散歩と街で出会う清掃作業をする人々との何気無い質問や会話などで成り立っている。そしてこれ等の何気ない会話や見分から、中国庶民の飾り気のない実像が立ち上がってくるところがこの日記の最大の価値であり魅力である。清掃作業の人の何気無い一言から、その背後の家族・親戚の人生模様が垣間見える。そのほか同じコミュニティの住民、近隣の商店主、宅配業者等との交流を通じて彼らの様々な思い・感情をすくい上げ書き留めている。また、連日のように寄せられるフォロアーからの声にも筆者は度々励まされる。

コロナによる都市封鎖という歴史的体験下の中国庶民の直面する幾多の社会問題が伺われ、中国大陸の内包する巨大な課題が見えてくる。15億人余の巨大な中国人の存在感・実在感に圧倒され、たじろぐ思いがする一方で、人間臭く、率直に、日常を過ごしている中国の等身大の庶民像を鮮やかに映し出してくれたのが郭晶さんであり、彼女の存在にある希望のようなものを覚えるのである。

(翻訳・稲畑浩一郎 潮出版社刊)

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