《ジェレム・ジェレム便りNo.65》チェコに見る国民国家の誕生とロマ

去る10月28日、チェコ共和国は103回目の建国記念日を迎えた。1918年の第一次世界大戦の終結とともにオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊、領内にいた西スラブ語を話すチェコ人とスロバキア人が独立しチェコスロバキア共和国を建国した日である。第二次大戦後は社会主義体制に組み込まれ連邦国家として存続していたが、ソ連崩壊後の1993年に連邦制を解消し、それぞれが独立国家となった。そして、この日は今もチェコ全土で記念日として祝われている。以下、ロマ関連ニュース配信サイトROMEAの記事をもとにチェコのロマに関する歴史の一断面を報告する。

「最初のチェコスロバキア共和国が誕生した当時、ロマの人々はどのような境遇にあったのだろうか。共和国憲法は多くの少数民族を公認したが、ロマは含まれなかった。ロマの人々にとって共和国建国は根本的な変化をもたらすものではなく、オーストリア・ハンガリー帝国時代の法令が依然として通用していた。こうした法令のうち1888年にウィーンの内務省がそれまでにあったロマを取り締まる数々の措置を一つにまとめて公布した布告が根付いていた。そこにはロマを外国人として追放する措置、路上で生活するロマを罰する措置などが含まれていた。また、ロマ住民に対する各種証明書発行も規制されていた。

1890年代になるとチェコスロバキア全土の農村から、ロマの移動をさらに制限する法の採択を求める嘆願書が提出された。その結果はまず1925年にロマ人口調査となって表れた。この時合計6万人余りのロマが集計されたが、実際には7万から10万人のロマがチェコスロバキアにいたと言われている。そして1927年には〈放浪するジプシーに関する法律〉が発布された。この法律はフランスの移動民に関する法律(1912年)と異教徒法(1926年)がもとになっているが、チェコスロバキアの規制は世界で最も徹底したものだった。この法律の成立を主導したのは農民党だった。これを根拠にして1928年から29年にかけて〈放浪するジプシー〉の人口調査が行われ、登録を管轄する機関が〈ジプシー身分証〉を発行した。プラハやブルノや温泉地ではこの身分証を持つ者の入境を禁じる場所が設けられた。

この法とそれに基づく強制的な人口調査は特にボヘミア(チェコ)、スィンティ(ドイツ)とヴラフのロマが対象とされた。当時は彼らにとって半移動生活あるいは路上生活が昔からの生活方法の一部として自然なことだったからだ。しかし一方で、規制の実施のみならず法律の文言が批判を招くことにもなった。現代から見るとこの法律は明らかに差別的である。注意すべきは、この法律によればロマではなくジプシー風の生活をする者が全て人口調査の対象となり登録されることになることだ。逆に多くのロマはこの法律が言うような「ジプシー的な」生活を送っていたわけではない。特にモラビア地方やスロバキア地方のロマの多くは最初の共和国の時代にすでに定住生活を送っていた。定住したハンガリーやスロバキアのロマは鍛冶職人、馬蹄職人、レンガ職人、籠・箒職人、とうもろこしの皮を加工する職人として社会に適合していた。ロマの人々は広い土地も持とうとせず、自分たちが住むに足る小さな区画を所有することで生きてきたことは歴史の事実である。

一方で最初の共和国時代に高等教育を受け、大学を卒業するロマもいた。1936年に一人の学生がプラハのカレル大学法学部を出た記録がある。1926年、ウジホロド(現ウクライナ領)にロマの子供のための最初の学校が設立され、ロマの人々の手によって校舎が建設された。1930年代にはロマのための音楽学校がスロバキアのコシツェに設立されている。

ロマの生活に関する諸問題はチェコ人の研究者によっても研究され始めている。〈放浪するジプシー〉に関する差別的な法律や様々な規制にもかかわらず、ロマの社会統合が徐々に行われてきたことは明らかで、それはすでに19世紀に始まっていた。」(報告は以上)

今からおよそ30年前、世界の諸民族の音楽を集めたビデオ大系を制作する仕事に携わったときのこと。少数民族の音楽を尊重する編集方針に基づき、チェコスロバキアの巻の後半に現地で撮影されたジプシーの歌と踊りの映像が収録されることになった。解説書に歌詞を掲載するに当たり聞き取りが必要になり、手がかりを得ようとビデオカセットテープを持って在京のチェコスロバキア共和国大使館(当時)を訪ねた。本国からの大使館員が応対してくれ、初めはにこやかに映像を見ていたがジプシーの部分に差し掛かると表情を変えてこう言った。「これは私たちの国の音楽ではありません。」

民族自決のイデオロギーによって生まれた国民国家と国を持たない民であるロマが共存することの難しさを肌身で感じた瞬間だった。確かにチェコ人が作った国がチェコスロバキア共和国だとすれば、異民族であるロマの音楽は「自分たちの国の音楽ではない」ということになる。現在のチェコ共和国ではロマは少数民族として公認されているが、少数派市民の国家への統合という問題は欧州連合(EU)において今なお重要課題の一つとなっている。

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