最近のTV番組「情熱大陸 三線職人/銘苅(めかる)春政 沖縄の伝統を未来に。88歳の技と生き様に触れる」を見て、様々な雑感に捉われた。
三線の芸術的価値はその棹の美しさで決まるということを固い信念とする銘苅春政は、南城市に住み、一人暮らし。名人と言われながら、弟子を取らず、気ままに生きる。
三線の素材、琉球黒檀を加工しながら、ひたすら乾燥作業を繰り返し、削りと研磨を重ねる作業の日々。棹の顔とされる先端部分や、鳩胸と呼ばれる太鼓との付け根部分の曲がり具合の美しさは独壇場だ。以前は、三線全体を作っていたが、今は棹だけ作る。
こうして作られる彼の三線は沖縄古典音楽に携わる奏者にとっては憧れの一本だ。
思いのままの棹が仕上がれば、次の工程、塗り職人に委ねる。生活ぶりは素朴で、食事は栄養などにはこだわらず、「ひもじくなったら」野菜を入れたインスタントラーメンが定番。
銘苅春政はまた奏者としても師範であり、最近、コロナ禍で中止されていた琉球古典芸能の定期公演会ではクーチャー(胡弓)を奏した。久しぶりに訪れた那覇の道路橋の上から、車の行き交う様を見下ろしながら、沖縄の本土復帰の当日、道路橋から左側通行から右側通行に一斉に変更される瞬間に立ち会っていたという。そして「人間、欲があるから戦争する、・・人間の情うすくなる」と言う。
沖縄の芸能に個人的に触れた記憶を手繰り寄せれば、レコード会社に在籍していた1970年代、小沢昭一さんと放浪芸探索の旅を続けていた頃、たまにスタジオに顔を見せると、竹中労さんのお顔を見る機会が多かった。彼はその時、嘉手苅林昌のレコード制作で連日、スタジオに通っていたらしい。後から、それらのレコードを聞いて、その素晴らしさに打たれながら、あの時の貴重さを思い起こしたのだった。また、自分のことながら詳細は思い出せないのだが、大工哲弘のレコードを作った時の鮮烈な記憶が一つだけ残っている、沖縄の大工さんのところに初めて電話して交渉したとき、電話口から大きなボイラーの燃焼音がゴーゴー聞こえたのだった。大工さんはその頃、市役所?だったかのボイラー係だったのかもしれない。もし違っていたら、大工さんに謝らねばならないが、結果としてのレコードは私の手元に存在している。