小沢昭一さんを偲ぶ

  • 小沢昭一さんが12月10日に亡くなってから、14,15日の通夜、告別式に忙殺され心の余裕がないままここ数日が過ぎた。体調の深刻さを知るにつけ、覚悟はしていたが、亡くなってからの喪失感は日々増すばかりである。40年余前に、小沢さんの処女著作「私は河原乞食・考」を読み、衝撃を受け、思わず小沢さんに連絡を取りレコードにしたいと申し込んでからの疾風怒涛のような日本列島の旅の断片が次から次へと思い起こされる。いずれ落ち着いてから小沢さんについての文を記すだろうが、ここはレコード「ドキュメント日本の放浪芸」シリーズ22枚のCD化の際に書き記した拙文を再録したい。

    「日本の放浪芸」を制作して(パンフレットより)

    『俳優という芸能の実演者の立場と、それとは本来的に矛盾する芸能探索者という立場が奇跡的に統一された世界が「日本の放浪芸」であった。それは小沢昭一のやむにやまれぬ思いに駆られた個人的な営為であり、自分が属する芸能の社会の血筋をたどる長い旅だった。録音に残された、幾多の、今は亡き放浪諸芸の人々と小沢との会話を聞いていると、互いに深くつながった仲間同士として交わされた、その時々のまなざしの優しさ、柔らかさがよみがえる。日本の街や道でひそやかに、時には大胆に闊歩してきた彼らは小沢昭一に巡り合い、それぞれの思いを託したのだ。中世以来、営々と日本各地で続いていた放浪芸の殆どは二十世紀の中で滅びたが、その担い手たちの諸芸能と彼らが背負った哀切な個人史の一端がCD復刻によってよみがえり、二十一世紀に向けての手がかりを与えてくれるような予感がする。』(1999年)