《ジェレム・ジェレム便り31》~ロマ、スィンティ、カロ:ブラジルの現実(その2)

(編集部)黒人の日(11月20日。黒人奴隷制度の抵抗運動のリーダー、ズンビの命日にちなんで制定されたブラジルの祝日)を祝う上院の特別集会でロマ・コミュニティ代表のM.ケイロス女史がブラジルには800のロマの居住区があり、そこでは出生証明書すらもらえないことから、<隠れブラジル人>となっている現状を声高に訴えました。様々な民族集団や人種の人々が人権を求めて闘っている現状からすると、原住民、黒人、あるいは他の民族運動と連携することはないのですか。
(ゲルパ)私はいつもブラジルには60万人のロマがいると言っていますが、推測の域を出ません。ブラジル政府はわたしたちがどういう民族でどのくらいの人口があり、どこに住んでいるかを把握していないのが現状です。ケイロス女史は確かにいくつかの居住地を訪れていますが、全体像を詳しく語れるほどではありません。実際政府がソウザの町を訪れたとき、その周辺にロマが住む場所がたくさんあることを誰も言わなかったため、そこまで足を伸ばさずに終わりました。マリスポリス、オレベ、サン・ジョアン・ド・リオ・ド・ペイシェ、パトス、パウ・デ・フェホなどです。先ほど言った通り、政府はわたしたちがどこに住んでいるかを知らないばかりか、さらに悪いことに、知らないふりをしています。
もっと言えば、ブラジルのロマたちの所在が特定されることは今後もないと断言できます。それは多くのロマが自分たちの素性を明かしていないためです。ロマの文化は何世紀もの間排斥、不寛容、不公平、偏見にさらされてきました。ブラジルにおいても同様です。ブラジルのロマは身分証明書が手に入れられないほか、健康保険、義務教育、成人教育も受けられず、都市部でのキャンプ用スペースなど社会的・文化的に受け入れられることもありません。そして何よりも、伝統文化の継承に対する保障がありません。1562年(1574年という説も)以来ブラジルに住む人々の習慣と文化遺産であるにも関わらずです。
ということで、他のコミュニティと連携できるのはそこで論じられるテーマが共通する場合です。しかし、実際にはそうはいきません。みな独自の習慣を持っているからです。それぞれが直面している問題は無数にありますが、それらすべてを取り上げるわけにはいきません。理想ではありますが…。
(ラマヌーシュ)さきほどお話した通り、<ブラジル・ジプシー大使館>の活動はその90%が文化的なものです。政治的に活動する場合もこの文脈においておこないます。確かなことはブラジルにはロマの人口の規模に関する信頼できる統計がないことです。あるロマの活動家は自分のコミュニティの人口を質問されると、数を増やして答えます。(そこには注意を喚起し、<隠れた>存在であることに対抗するための戦略があるのですが。)一方、政府の方は、ブラジル国家統計局による技術的に正確な国勢調査ができていない。さらに悪いことに、ロマを統合するための政策を俎上にあげなくて済むように、その数を少なく発表する傾向があります。ロマの権利に関して言えば、ロマと呼ばれる人々も他の人々と同じくブラジル国民であることを忘れてはなりません。
ブラジルのロマ、特にカロン・コミュニティに属する人々は、下層市民として扱われています。近年、ロマは人種平等政治評議会(CNPIR)や伝統的民族およびコミュニティの持続的発展に関する国家委員会(CNPCT)といった機関に代表者を送り込んでいます。しかし、これら二つの機関は諮問機関に過ぎません。直面する問題のひとつは、教育機会の損失です。
(ゲルパ)ジプシー文化支援研究センターは2007年2月に設立されました。私はCNPIRやCNPCTがロマの教育のためにおこなってきたことは知りませんが、ロマの教育について語る前にまずブラジルそのものの教育問題を議論すべきだと思っています。ロマの女性は手相から将来を読み取りますが、ロマの人々の将来は行政機関の手に委ねられています。そこでは認められることを待っている人々の社会参加を促し、基本的権利を行使できるよう努力をすべきです。いずれにしても時間がかかります。
(ラマヌーシュ)<ブラジル・ジプシー大使館>は29年間活動を続けていますが、そのうち26年間は非公式に、残る3年間は政府系の人権団体と共に活動しています。これまでのところ成果としては次のようなものです。
・ この13年間、サンパウロのいくつかの大学でロマ文化の歴史に関する公開講座と修士課程の講義をおこなっています。これはラテンアメリカにおいても先進的なプロジェクトです。
・ ラテンアメリカで初めて自分たちの言語で本を出版しました。2009年にロマ単語集(ロマニ・スィンティ語の語彙と文法)、2011年にはスペインの国際ロマセミナーに参加した際にカロの言葉の演習本を出しました。
・ スィンティ、カルデラシュ、カロンなどさまざまなメンバーを抱えているので、これらコミュニティ間の相違点について講演しています。
・ 差別や偏見を少なくするために文化の分野で展開してきたプロジェクトについて国際的な認知を得ました。アフリカ、スロヴァキア、フランス、スペインでおこなったロマニ・ロタ(「ロマの来た道」)という音楽と踊りのパフォーマンスプロジェクトでは、政府の支援がなくわたしたちの財源に頼るのみでしたので国の数はこれ以上を増えませんでした。
・ 2011年にはサンパウロ州の公認を得て、SESCという文化芸術機関の活動の一環としてロマニ・ロタの公演を行いました。これは2012年も続ける予定です。
(市橋雄二/2012.5.18)