2012年7月アーカイブ

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パキスタンの歌手が歌うと聞いて、7月17日、東京・渋谷にあるBunkamuraオーチャードホールに足を運んだ。本コンサートは第1回東京[無形文化]祭の海外企画の一つとして<パキスタンの歌姫サナム・マールヴィー スーフィー・ソングを歌う>と題しておこなわれたものである。
サナムはパキスタン南東部シンド州の出身で、イスラム教徒である。イスラム教のなかでも民間信仰的な、神との合一こそが最高の宗教的境地とする神秘主義(スーフィズム)の伝統を保持している。シンド州はインドのラージャスターン州と国境を接し、同州西部のジャイサルメール地方とは文化的にも連続する地域である。ラージャスターンのこのあたりは2001年に同人主宰の市川捷護氏とともに訪れ、職業音楽家マンガニヤールや漂泊芸能者ジョーギーの音楽についてフィールドワークをおこなったこともあって、人一倍思い入れがある。また、同地域からは2007年に<ムサーフィル>、2010年には<ラージャスターン・ルーツ>いう音楽芸能集団が来日公演をおこなって、多くの観客を魅了してきた。
さて、今回のコンサートはドールと呼ばれる大型の両面太鼓の軽快なリズムで幕を開けた。火箸のお化けのようなリズム楽器チムターがジャンジャンと囃し立て、興が乗ってくると太鼓奏者は首から吊るした大きな太鼓を持ちながら回転を始め、遠心力を利用してどんどん回転の速度を上げていく。この地域の信仰である聖者崇拝の宗教儀礼ではこうしたリズムを延々と繰り返し、次第に神との合一という恍惚の境地へと人々をいざなうのだという。プログラムは一部がスーフィズムの音楽、二部が地方の民謡という構成で進められた。2番目に登場したのはアルゴーザーという二管の縦笛。二本ある管のうち一本は通奏低音を奏で、もう一本で旋律を吹く。インド音楽でおなじみの二個一対の太鼓タブラーとドールが伴奏をする。アルゴーザーの通奏低音は途切れることがなく鳴り続けている。実は通奏低音用の管は息継ぎなしのノンブレスで演奏され、一人二役の鍛錬が必要な難しい楽器なのである。そして、3番目にメインのサナム・マールヴィーが登場。ハルモニウム、タブラー、横笛バーンスリーが伴奏する。つやのある伸びやかな歌声が会場いっぱいに広がる。
スーフィズムの歌といえば、日本でもファンの多い故ヌスラット・アリ・ハーンとそのグループの功績によって世界的に有名になった<カッワーリー>という集団歌謡があるが、サナムは中世の神秘主義詩人が詠んだ詩をセミクラシックの音楽伴奏で歌う<スーフィアナ・カラーム>というスタイルの歌手である。ここでは詳しく取り上げることができないが、神秘詩は男女の恋愛に模して崇拝する聖者に対する熱烈な愛情を歌い上げる。ヌスラットが観客を徐々に乗せていく躍動感に満ちたパフォーマンスを得意とするのに対して、サナムは言葉を大事にしながら詩句をじっくりと歌い聞かせる。一部で4曲歌ったが、言葉を解しない日本の観客にはその違いがわからず単調に感じられたかも知れない。詩の世界を観客に伝える工夫があればさらに楽しめるステージになったのではないだろうか。一方でバーンスリーの牧歌的な響が日本の民謡を聞くような懐かしい感情を掻き立ててくれた。
二部は民謡を中心に展開され、チャルメラ風のダブルリード<シャーナイ>も登場して、賑やかな感じになった。最後に演奏者全員が登場し、「ダマーダム・マスト・カランダル」の合唱となり大団円を迎えた。「ダマーダム」はヌスラットやラージャスターンのマンガニヤールたちも好んで取り上げるレパートリーで日本でも人気の曲だ。サナムもこの曲では、会場の手拍子を誘うなど積極的なステージングを見せ、場内は大いに盛り上がった。サナムは観客だけでなく、伴奏の太鼓奏者にも「ナウバト・バジャーエ(もっと太鼓を鳴らして)!」などと発破をかけて盛り上げていた。
今回のステージは、全体として歌い手(演奏者)と観客との間に心理的な距離感があったようにみえた。日本人にとってはイスラム神秘主義思想にもとづく宗教心の発露としての歌を身近に感じようとしても難しい面がある。サナムには詩を歌い聞かせることこそが真骨頂であるにもかかわらず、その歌詞がストレートに伝わらないもどかしさがあったことだろう。今回は東京会場のみの一回公演ということもあって、観に行けなかった人も多いはずだ。観た人もそうでない人も本稿を読んでいただいた方には、インターネットを利用してさらに知見を広めることをお勧めする。スーフィズムについても日本語で多くの情報が入手できる。動画投稿サイトで「sanam marvi」と検索すると、エレクトリックバンドを従えてモダンなパフォーマンスを見せるサナムやこのジャンルの先駆者アービダ・パルヴィーン(Abida Parveen)の歌など様々な関連映像を見ることができる。いずれにしても、パキスタンの音楽文化の新しい側面が初めて本邦に紹介されたことの意義は大きい。
(市橋雄二/2012.7.21)

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