2012年10月アーカイブ

  • トップページへ
    最近まで、ロマの男であれば前日の食べ残しは口にしなかった。男性は食べ残しには触れることはなく、もしそのようなものを食卓に出そうものなら女性は怒鳴られた。男性だけでなく女性や子供も古くなった食べ物を嫌う。これはロマが依然として守っているインド古来の習慣のひとつである。
    ロマは毎日その都度調理をし、昼食に作ったものを夕食に出すことはしない。そうしたものは腐敗しているので食べてはいけないと信じているためだ。ロマの中には厳格にこの習慣を守っているものもいる。そのために女性は掃除をしたり子供の面倒をみたりする以外に一日に何度も料理しなければならないのだが。
     しかし、ロマの若者、たとえばチェコに出稼ぎに来ているものの中にはこの習慣を手放しているものがいる。経済的理由と自由になる時間がないためにそうせざるを得ないのだ。
    また、ムラダー・ボレスラフ(シュコダ自動車の本社がある町)で家庭をもった私たちのようなカップルの場合、夫またはパートナーが三交替シフトで勤務しているので、妻あるいは女性は親族の手伝いなしに家事や育児をこなす時間ができるが、食事時間がまちまちになるため、二日分の食事を作り冷蔵庫に入れざるを得ない。私のパートナーが私のことを気遣って、このやり方を提案したときにはショックだったが、しかし受け入れざるを得なかった。彼もロマだが、もう何年も作りたての食事なしでやってきている。自由になる時間が少なく、食べ物を無駄にしないと決めたのだった。
    私自身は前日のスープは決して翌日に出さない、そんなことをしたら父親が鍋をひっくり返すという家庭で育った。チェコに来たときもこの習慣は身についていたが、前日の夕飯の残り物を捨てようとしたときにボーイフレンドを驚かせて以来、それが大きく変わったのだ。私の母は毎日2、3回食事を作った。もちろんお金はかかるが、「古くなった食事は食べるものではない」と言って、この習慣をただただ守ってきた。
     しかし、私はこの習慣を緩めるしかなかった。そして、今では翌日の分まで食事を作り、自分のために時間を使う方が都合がよいと思うようになった。そのようにしても、今もちゃんと生きているのだし。ロマでない人は、腐ったものを食べなければならないときに「おえっ」と言うロマのことをあざ笑うが、ロマは3日前のスープを飲むなんて何てケチなんだと言う。
     私は先月スロバキアにいる親族を訪ねた。毎日たくさんの食べ物が捨てられるのを見て悲しくなった。義理の妹がポテトケーキを作った。あくる日、バーベキューをすることになり、誰もこのケーキに手を出さなかった。私のボーイフレンドと私はまだ食べられると言い、喜んで食べた。冷蔵庫に入れてあったんだから大丈夫よ、と言うと周囲の人たちは私たちを奇異の目で見ながら顔を歪めた。私たちはまるで別世界から来たような気分を味わった。
     もう一つロマがまだインドにいた時代にさかのぼる奇妙な習慣がある。女性が子供を産むと、不浄だからという理由で6週間料理することを許されないのだ。同じコミュニティの別の女性が、その家族のために料理をすることになっている。しかし、今ではこの習慣はもう残っておらず、他の家族のために料理をする女性もいない。誰かが産後に食べ物を届けるということはあるが、古い習慣に囚われない夫であれば、自分で妻を手伝うだろう。そうでなければ、自分で料理するしかない。
    現代の速いペースは、古い習慣を脱ぎ捨て、新しい環境に適応していくことを私たちに強いる。どの国でもやがて博物館の展示になるような古い習慣を失っているときに、それは避けられないことだ。どのように伝統を保持してきたのか、その伝統は何を表しているのかについて長老たちに尋ねるしかない。残念ながら、いくつかの伝統は文字として記録されるのみだが、次世代の人々はそれによってはじめて自分たちの歴史やルーツを知ることができるのだ。
    (市橋雄二/2012.10.21)
  • トップページへ
    今も尚、天馬空を行くかのようなピアノの音色が頭の中を巡っている。
    ミシェル・ペトルチアーニはイタリア系フランス人の家庭に、生まれつき骨形成不全症という深刻な障害を持って生まれた。8歳で初舞台、13歳でプロデビューし、18歳でアメリカに舞台に移す。身長は成人しても1メートル余で、骨はもろく、折れやすい。すさまじい境遇にありながら、稀代のジャズピアニストとして圧倒的な評価を確立し、わずか36歳で世を去ったペトルチアーニの苦難と栄光に満ちた生涯を、名作「イル・ポスティーノ」のマイケル・ラドフォードが秀逸なドキュメンタリーに仕立てた。
    残された当時の映像記録と彼ペトルチアーニと共演した多くのジャズメン、評論家、プロデューサー、プロモーターそして彼と生活をともにした女性たちの証言、思い出話を交えながら、ペトルチアーニが抱えていた光と闇を鮮やかに浮かび上がらせ、この稀代のピアニストの天才と狂気がまさに裏表の関係にあったことを証明している。
    様々なミュージシャンとの歴史的共演の映像がでてくるが、私はとくにウェイン・ショーターとギターのジム・ホールとの共演シーンが懐かしい。(蛇足ながら、1961年にアート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズが初来日の際、大手町の産経ホールでウェイン・ショーターを聞いている。ちなみに当時のメンバーはピアノがボビー・ティモンズ、トランペットがリー・モーガンという豪華メンバーであった。)
    当時のミシェル・ペトルチアーニの演奏を見て、改めて彼の強靭なピアノタッチに驚く。もろい骨で演奏中もしばしば様々な部位を骨折しながらも、ピアノが揺らぐのではないかと思えるほどの強い打鍵でピアノを鳴らし切る。それでいながら音色はにごらず、澄み切りしかもつやがある。暖かで、骨太ともいえよう。彼の奏でる音楽はジャズでありながら、ジャズの概念を越えており、メロディラインは流麗でポジティブで、何となく彼のイタリアの血を想起させるのだ。1メートルの体に比して異常に大きく、分厚い両手が強靭なタッチを可能にしているのかもしれないが、それは常に骨折という危険と背中合わせであり、何時、己の命が尽きるかという切羽詰った人生行路を思い定めた上での演奏だったのだろう。そんな運命でも彼のピアノは暗くならないで、苦悩を突き抜けた明るさがある。
    一方、彼の女性遍歴は奔放でこの面でも天才の資格十分だろう。残された彼女たちが彼の異常さを語りながらも、今尚彼を思う心持にペトルチアーニの豊かな人間的魅力を感じ取れる。
    日本のジャズファンの中には、ピアニストとしてビル・エヴァンスやチック・コリアと並んでミシェル・ペトルチアーニを好む人もいるだろう。1997年には日本のブルーノートに出演している。
    ジャズピアノを通して、音楽の根源性と人間の不可思議そして人生の深奥を覗かせるドキュメンタリー映画だ。
  • トップページへ
    キアロスタミ監督が「私の映画は始まりがなく、終わりもない」といったらしいが、ストーリーだけでなく、この映画のあらゆる要素には、順序だてたメソードというものがない。東京の風景は寸画のようだし、あらゆるシーンには浮遊感が漂う。しかしながら、この映画にはイラン人、キアロスタミの冴えきった眼が捉えた今の日本の真実の瞬間がまぎれもなく存在する。
    80歳を越えた元大学教授タカシ(奥野匡)はデートクラブを通して亡妻に似た女子大生明子(高梨臨)を家に招く。そして明子の恋人で、若くして自動車整備工場を経営するノリアキ(加瀬亮)もからんで、物語は進む。
    それぞれの人物はおおむね今の日本に普通に存在するし、似た様な話もあるだろう。キアロスタミ監督が日本を舞台にしてこうしたテーマを設定したのも、意外でもあるし、さすがともいえる。導入部から、ドキュメンタリー的な手法で、即興性を感じさせる演出がひきつける。あらゆるシーンがすこぶる魅力的で、スリリングに展開し、生々しい。演出家の透徹したまなざしが切り取った東京の姿のリアリスチックなことよ。己の感性のままに、現実社会を映し出す視線は深く、遠い。
    「トスカーナの贋作」では現実社会を虚実皮膜なものとしてほろ苦い感傷に浸ったが、「ライク・サムワン・イン・ラブ」にも手がかりのない現実をそのまま受け入れようとする東洋的な諦観が感じられるのが不思議だ。
  • このアーカイブについて

    このページには、2012年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

    前のアーカイブは2012年9月です。

    次のアーカイブは2012年11月です。

    最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

    月別 アーカイブ

    ウェブページ

    Powered by Movable Type 4.261