キリスト教を最初に受け入れた国家アルメニア

■2007.8.15  アルメニアのこと
  ○ アルメニアのジプシー(ボーシャ)の存在を確認し、できれば彼らのうたなどを採録したいと思いながら、日本ではほとんど情報が取れないままぶっつけ本番覚悟で行ったアルメニア取材の映像・音の素材を整理・編集しながらDVDを製作中である。
アルメニアについての平均的日本人のイメージは希薄なものだろう。しかしながら、ジプシーが北西インドから出立し、ヨーロッパ大陸各地に拡散するジプシー・ロードとも言うべき経路を考えると、アルメニアは重要な地域であった。そこに何らかのジプシーの痕跡があるのではないかというのが訪問の理由であった。
○アルメニアはグルジア・アゼルバイジャンとともにカフカス3国に数えられ、地理的にはトルコ、イランのほぼ北に位置する。アルメニア民族の歴史は古く紀元前7~5世紀までさかのぼれるし、紀元4世紀には国としてキリスト教を最初に受け入れた国家である。9~11世紀には小アジア東部一帯に広がる大アルメニアを形成する一大王国であった。
アララト山(5165m))はアルメニア民族の心のよりどころとされており、ノアの箱舟が漂着したところとされているが、現在はトルコ領である。黒海とカスピ海の間に位置しながら、グルジア、アゼルバイジャンと違って、港湾を持たない地形状の弱みを抱えて、歴史のすべての時期にわたって領土の分割と植民地化の命運をたどってきた。特にロシア、トルコの両大陸との関係では常に圧迫を受けてきた。
アルメニア民族にとっての最大の惨事・悲劇は第一次世界大戦をきっかけに起こったトルコ領内でのアルメニア人虐殺であり、100万人を超える人びとが死亡し、国外脱出者は50万人に及んだという。この問題(ジェノサイド)は現在にまで深刻な国際問題になっており、虐殺の事実を認めるべきだとするトルコ人ジャーナリストが暗殺されるなどの事件は記憶に新しい。
○そうした民族的悲劇を記憶にとどめるアルメニアにひっそりとジプシー(アルメニアではボーシャと称される)は生きていた。DVDは9月に完成する予定である。

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