中国雲南省西北最深部・怒(ヌー)江地域への旅




■2008.1.11  中国雲南省西北最深部・怒(ヌー)江地域への旅
○15年ぶりに中国雲南省を旅した。雲南省は25にも及ぶ少数民族が居住(中国全土では55の少数民族が公認されている)し、多彩な少数民族の文化を内包する中国南部の省であり、当時、たびたび訪れた地である。1991年から6年間にわたり、ビクターと中国民族音像出版社の日中合作で中国全土に居住している55少数民族の村を訪ねてその民族特有の音楽・踊り・習俗などを映像記録としてまとめる気の長い仕事をしたが、今回の雲南行はそれ以来の再訪である。
1990年代初期からの5-6年間、中国周縁部の辺境地域をほぼくまなく旅した時期は中国が北京・上海などの大都会を中心にしてすさまじい変貌を遂げていく初期の時期と一致する。特に都会の変化のスピードはめまぐるしいほど速く、1年ぶりに訪れると様相が変わっていることはよくある経験だった。
2000年以降も北京・上海などはたびたび訪れてその驚異的な変貌ぶりは目撃しているが、この変化が周縁辺境地域の経済はもとより多彩な少数民族の文化・習俗にどのような影響を及ぼしているのか、そして環境問題の実情はどうなのかについてはあまり詳細な報道はない。ただ、大都会地域と地方との経済格差はかなり深刻だという一般論が流布されている。
とにかく中国全土は日本の25倍の広大な面積を有し、漢民族が肥沃な国土のほとんどに居住し、少数民族はやせた土地、自然環境が苛酷な辺境地域に散在しているのである。道路事情は劣悪で、電気・水・住居など社会的インフラも遅れている。少なくとも私が1990年代に目にした状況は厳しいものだった。
しかしながら、日本の標準から見れば貧しい生活をしている少数民族の村々はある意味で豊かな生活だった。家族の結びつき、多彩な習慣・習俗、楽しい祭り・行事の数々、自然に帰依するやさしいまなざしなど人間が生きている実感がくっきり感じられ、生活の基本形がはっきり目に見えた。これらは何ものにも勝る人生の宝だとしみじみ思った。
15年ぶりの雲南への旅に向けての私の関心は、こうした辺境の地域がどのような変貌を遂げているのか、それとも旧態依然そのものなのか、民族固有のうたや踊りや習俗は変貌しているのかということだった。地球上を多い尽くすかのようなグローバルゼイション、画一化の大波、「地球温暖化」と「環境問題」の影は少数民族の村々に及んでいるか。これらのことを旅のなかで考えることによって今後の中国の姿、はては地球の未来像が浮かび上がってくるのではないか。
旅の同行者は市橋雄二氏(当HP同人)と唐大堤氏(アートディーラー)を含む6名である。市橋氏は当時のスタッフでプロデューサー、唐大堤氏も中国取材当時のスタッフですべての取材のコーディネーションを担当し全行程を踏破した経験を有する。2名の強力なサポートがあってはじめて可能になった今回の取材である。
取材地に怒(ヌー)江地域の踏破を選択したのは、全取材地のなかでも強烈な印象を残し、半ば挫折した経験がある地域で、それだけ思い入れが深かったということだろう。当時、最深部までの道路事情は最悪で、道なき道を行くという行程の厳しさに戸惑いながらも、狭い山道から遥か見下ろす怒(ヌー)江の息を呑むような絶景に何度息を呑んだことだろう。奥地に住むというトールン族に出会えるのか、さまざまな不安、期待を抱えての当時の旅だった。
それから15年が過ぎたが、道路事情はどう変化したのか。唐さんがいろいろ現地に問い合わせてみたが、少しは良くなっているらしい。確かな情報はないままの出発となった。
ハードスケジュールの旅中には実に様々なことが起こった。未だ頭の中は整理し切れていない。取材した内容を検証していくなかで、何かが見えてくればと思う。追々、HP上のギャラリー・紀行・ビデオ・オーディオ(できればDVD化も)に逐次アップしていくべく準備中である。また、今回は雲南の最南端シーサンパンナ州の景洪(チンホン)周辺も歩いたのでその情報も加えていく。

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