オーストラリア大陸の西の端に位置するパースのロマ・コミュニティが比較的頻繁にニュースを発信しているので気になっていた。オーストラリアは1980年代以降白人を優遇する「白豪主義」から、世界中から広く移民を受け入れ、それぞれの文化的背景を尊重する「多文化主義」へと大きく舵を切った。そして早くから行政上ロマを他のヨーロッパ系、アジア系移民と同様エスニック・グループの一つとして認定し、教育や住宅、医療などの住民サービスを充実させてきたこともあり、ロマ移民にとって比較的住みやすい土地になっていることが背景としてありそうだ。
このパースのロマ・コミュニティで30年以上活動してきたのがRomani Australian United Perth W.A.(RAUPWA)という団体で、現在地元のFMラジオ局で週一時間のロマ語番組の放送枠を持っている。毎週木曜日の午後8時から、ロマ音楽、ニュース、地域情報告知、ロマに関する話題などがロマ語、マケドニア語、英語で流されている。放送しているのは6EBAという多言語FM局で各移民コミュニティ向けに約80の言語の番組があり、インターネットを通じてもリアルタイムで聴くことができる。
かつては世界のローカル言語の番組を聴こうとすれば、短波ラジオにかじりつき、微妙な指の感覚を頼りにダイヤルを回して雑音の中から探し当てたものだが、インターネットラジオの出現により状況は一変し、実にクリアな音でいとも簡単に世界中のラジオ番組にアクセスすることができるようになった。RAUPWAは、そのほかロマの文化や歴史をテーマにしたイベントの開催、来年はロマ語学校の設立と活動範囲を広げつつある。
また、RAUPWAが発行するニュースレターによると、ロマがオーストラリアに初めて到着したのは1788年のことだった。幌馬車で国中を移動し、果実の収穫やさとうきびの刈り取りなどの季節労働や鍛冶、皮革加工、金属加工、材木伐採、肉屋、貸し馬業などを生業としていたという。当初はアメリカに代わる流刑植民地としてイギリスからの移民が多かったが、その後はセルビアなどの東欧からの移民も多く、近年はロマ語のFM局の使用言語からもわかるようにマケドニアからの移民が多いようだ。そういえば、2006年にマケドニアのロマ居住区シュト・オリザリを訪問した際、夏の結婚シーズンにオーストラリアから帰ってきたという話を何度か耳にしたことを思い出す。(市橋雄二)