黒沢明の生誕100周年記念と銘打ち、3月末から3週間にわたり、30作品が日比谷シャンテで上映された。黒澤作品のほとんどは、数回以上見ているが、「七人の侍」は中でも突出した回数で、学生時代以降、今日に至るまで、節目節目でその奇跡のような完成度を目の当たりにしてきた。これまで見てきたおびただしい古今東西の名作映画のなかから1作だけを選ぶとしたら「七人の侍」をあげざるを得ない。未見の若い人々には是非みて欲しい。必ず、自信が生まれ、何故か崇高な気分になる-――そうした映画である。
戦国時代の野武士の跋扈に悩むある農村の村人たちが侍を雇い、野武士集団と死闘のすえ勝利するまでの物語である。野武士の騎馬団が山の稜線に登場するシーンからカメラがパンして村の全景のロングショットに至る導入部から一気に劇的世界に引きずり込まれていく。
村の苦悩・困惑、浪人侍探し、7人の侍たちの集結、決戦に向けての村人たちの訓練風景、村の要塞化、若侍、岡本勝四郎(木村功)と村の女,志乃(津島恵子)との恋、農民、利吉(土屋嘉雄)の妻(島崎雪子)を野武士に奪われた恨み等々のエピソードが織り込まれながら、物語は進行する。
7人の侍の造形がくっきりと切り立ち、黒沢明が思う男の理想像がそれぞれに振り分けられている。
・戦略家の島田勘兵衛(志村喬)の統率力・洞察力。
・参謀役の片山五郎兵衛(稲葉義男)の物静かで茫漠とした風格。
・七郎次(加藤大介)の忠誠心。
・林田平八(千秋実)の明るさ、軽妙さ。
・久蔵(宮口精二)の無口、練達、孤独。
・岡本勝四郎(木村功)の若々しい憧れのこころ。
・菊千代(三船敏郎)の野生、豪胆。
これらの人間像の要素を巧みに血肉化した七人の侍役の俳優陣がなんといってもこの映画の魅力だ。志村喬は存在感・信頼感が圧倒的であり、セリフが素晴らしい。久蔵役の宮口精二は最高のはまり役で、役者冥利に尽きる役どころ。菊千代の三船敏郎の破天荒でエクセントリックな演技とその野生美は黒沢の想定を越えるものだったろう。
印象的なシーン。子供を人質にとり立てこもった男(東野英治郎)を島田勘兵衛(志村喬)が討ち取るシーン。討たれて小屋からでてきた男が倒れるまでをスローモーション処理し、見守る村人たちの唖然とするリアクションの対比の妙。黒沢独特の手法。
こうした緊迫シーンにおけるスローモーションと見る側のリアクション(望遠レンズ)の対比が最も成功したシーンが久蔵(宮口精二)の空き地での真剣の決闘シーンで、勘兵衛と勝四郎などが見守るなかで急蔵の凄腕を強く印象つける。この手法は後年、「椿三十郎」の壮絶なラストシーンでも再現され、血潮の噴出という要素が加わりより衝撃度を増している。
さらに特筆すべきは馬の登場であり、これほど馬を集団で上手く使った日本映画はない。馬の登場で画面のダイナムズムが一気に増幅する。
そしてラストの伝説的な雨中の決戦。40名の野武士たちを少しずつ討ち取りながら、最後に13人の野武士騎馬集団を村にいれての雨中の死闘、激闘。竹やりの農民たち、侍たちと野武士騎馬団の凄絶な決闘シーン。馬のひずめの音と、農民たちの叫び声。落馬する野武士たち。黒沢映画のモンタージュの精華であり、勝利である。息をするのが苦しくなるほどの迫真のシーンの連続。
忘れなれないメインテーマをはじめとする各シーンのテーマ音楽。男声合唱による農民の苦悩、フルートとハープによる勝四郎と志乃の登場、侍たち、農民の疾走シーンにはトランペットのメインターマ―――早坂文雄の仕事は不滅だ。
脚本(黒沢明、橋本忍、小国英雄)の完成度。撮影(中井朝一)のマルチカメラ撮影による決戦シーンをはじめとする映像ダイナミズムの成果、勝四郎と志乃がはじめて出会うシーンで一面に生える野花の描写から漂う抒情。
今回、劇場でみたかったのも、この映画は観客とともに感情を共有しうる稀有の作品だからである。1954年に公開されてから50年余、未だにこれを越える映画作りは想像できない。それほど、苦難にみちた撮影だったらしい。黒沢の体中にたぎっていた情熱がほとばしるように噴出した「七人の侍」は2010年の今も新しい驚きである。
ラストシーンのメインテーマが流れ「終」のエンドタイトルがでると、さざなみのように拍手が徐々に場内を満たしていったのであった。
時空を越えた至高の地点に立つべき名編である。