異形のヒロインの登場――スウェーデン映画「ミレニアム」3部作

 

原作は世界40カ国で2600万部売れたというスウェーデン・ミステリーの大ベストセラー、全3巻の長編である。読んだときから映画に向いた素材だと思ったが、早速映画化された。「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」(153分)、「ミレニアム2 火と戯れる女」(130分)、「ミレニアム3  眠れる女と狂信の騎士」(147分)、全部見ると7時間余の大作である。あらすじの要点は
「ドラゴン・タトゥーの女」:40年前孤島で忽然と姿を消した名門企業のオーナー一族の少女の行方を巡って、名門一族の忌まわしい過去の事実があばかれていく。「ミレニアム」という雑誌のやり手編集長ミカエルと天才ハッカー、リスベットが共同して、少女失踪の謎の解明に取り組むなかから、戦中、戦後の闇が浮かび上がる。
 「火と戯れる女」「眠れる女と狂信の騎士」:少女売春組織の解明に迫るジャーナリストが殺害され、その犯人に女主人公リスベットが指名手配される。その無実を証明すべく一連の取材に執念を燃やすジャーナリスト、ミカエルたちが闇の組織の実態を追求していく。その過程でリスベットの衝撃的な過去が次々と明かされていく。そしてすべてが明かされる法廷劇へ。
 スウェーデンの現代社会を通して、名門企業家一族の闇、旧ソビエトのスパイたちの暗躍、少女売春に関わる公安組織の腐敗、家庭内DVなどをおりまぜながら、雑誌「ミレニアム」を舞台に展開するミステリーである。
最近これほど映画本来の楽しさにひたれた映画も珍しい。原作ものを映画化したものをみる場合、原作との落差と違和感に失望する場合が多いが、「ミレニアム」は原作を読んでいても、いなくても、そのどちらも満足させる良質のエンタテインメントになっている。
この映画の成功の第一の要点は、女主人公リスベットという一筋縄ではいかない複雑な内面を抱えながら不思議な魅力をもつ女性の造型に成功したことに尽きる。
150センチ、40キロの華奢な体で、その背中には大きく彫られたタトゥー、鼻にピアス、ソフトモヒカンの髪といういでたちで誰にも媚びず、ことばもほとんど発せず、射るようなまなざしで相手を見据える。一方、頭脳は明晰で、記憶力は抜群の天才ハッカー調査員でもある。過去の苛酷な体験からのトラウマをしのばせる凍てついた表情から時にもれるピュアーな感情の発露が彼女の正体を捉えがたい複雑なものにしている。
加えて格闘技に秀でており、大男たちとの熾烈な格闘も辞さない超人的な女性である。
リスベットを演じるノオミ・ラパスが強烈な個性をもつ人物像を好演している。
次いで複雑なストーリーを分かりやすく、手際よく処理したシナリオ、演出の冴えが出色だ。短いカット、ショットをテンポよく重ねながら引き締まったストーリー展開に持ち込む編集の勝利、プロの技だ。
カメラもストックホルムの陰影に富む街の表情を適確に切り取り、北欧の風土に生きている人間の実在感を浮かび上がらせている。
 この映画の描写にはかなりハードな内容があるが、見た後に残る後味はすっきりしている。
 映画の底流に、社会の標準的な価値判断や評価からは、はみ出した生き方をする(せざるを得ない)者と微妙な間合いながら共鳴する意志が流れているからであろう。
正統的で、マッチョなハリウッド的なヒロイン、ヒーロー像がはばをきかす映画界で、この映画の姿勢は異端だが、懐の深い社会をよしとする現実認識はハリウッド映画にはないものだ。
そのハリウッドが映画化権を買って、アメリカ版を作るらしい。己のオリジナリティー欠如を棚に上げて、札束で企画を買いあさる鈍感なハリウッドが毒にも薬にもならない活劇映画をつくるのが目に浮かぶ。
 この巨大なミステリーの作者スティーグ・ラーソンは処女作、ミレニアムシリーズの大成功を見ることなく2004年に50歳で逝去した。