映画「花々の過失」~歌手、友川カズキの栄光

知る人ぞ知る存在の歌手、友川カズキを追った刺激的ながら、覚醒した視線が貫かれているドキュメンタリーである。1974年シングル「上京の状況」でデビュー以来60歳を越える現在まで歌手,詩人、画家、俳優などで多彩で独特の世界を発信し続けている生きた伝説の歌手ともいえる。
その歌は圧倒的な迫力に満ち、秋田の方言を駆使して機関銃のように言葉を連射するステージには誰しも息を呑む。詞(詩)は攻撃的であり、破壊的でありながら、人生の真実を突き、時代につばを吐き、時代を撃ちまくる。強烈な秋田なまりの歌は地を這うように響き、時にははっとする抒情を垣間見せ聞く人の心のひだにしみわたるのである。友川の歌には、他のどんな歌手たちの歌とも決定的に異なる激しい魂の噴出が見られ、それは常軌を逸していると言ってもいいほどだ。
映画は友川や友人たちへのインタビューとステージ、スタジオ演奏で構成されている。
中原中也の詩「骨」から受けた衝撃、弟の自殺による喪失感そして3年ぶりで会う息子との会話、競輪への愛着、都会の町を彷徨する友川の姿などなど。
これらは説明的ではなく、映画全体のリズム感のなかで処理されているので、友川ファンには自明のことながら、一般的には人物関係はわかりにくい。しかしながら歌人 福島泰樹の友川に捧げる詩の朗誦は抒情が横溢する名場面だ。昔見た「短歌絶叫コンサート」の感動がよみがえる。
友川の歌の本質は東北の青森、秋田の文学者、芸能者の血筋を正統に継承するものだ。秋田出身の舞踊家・土方巽、青森出身の太宰治、寺山修司、高橋竹山などに連なる土俗性、無頼性、革新性、漂泊芸などが友川の体内に脈々と流れている。この東北人の地から湧き出でるような表現への希求は東北の土壌を抜きには考えられない。
インタビューで友川は、今の許しがたい時代につばをはき続ける強い意志を示しながら、こうした時代だからこそ、己の歌がありえるという逆説を語るのである。
このことは芸能の本質を示している。時代に祝福される芸能はホンモノではない。時代を撃ちつづける芸能がホンモノだ。こうした意味では友川カズキは中世以来日本列島を闊歩してきた放浪・門付けの芸能者の血脈を正しく継承しながら、埋もれた荒ぶる魂を掘り起こし、現代の闇を逆照射する栄光ある存在なのかもしれない。