《ジェレム・ジェレム便り 21》~アメリカに住むロマたちの今(1)

テキサス州フォートワース市街の東、州道180号線沿いに位置するシャノン・ローズ・ヒル墓地は、この地の冬に特有の乾いた黄色い草地に区画された墓石群が広がるどこにでもある墓地だ。墓の多くはありふれた形をしているが、その中にひときわ目立つ背の高い墓石があり、そこには故人の写真が嵌め込まれている。
一張羅に身を包み、たばこをくわえて笑みを浮かべ、両側に家族が写っている。燭台の代わりに真紅に染まったポインセチアの鉢とコーラやドクターペッパーの缶が供えられている。これらの贅沢な墓石にはエヴァンスの名が刻まれている。100年以上も前からここフォートワースを住処としてきたロマの一族である。
なだらかな丘を登るとシャノン・ローズ・ヒル葬儀場の近くで、また新たなエヴァンス家の墓が建てられているところだった。一家(血統や婚姻により結ばれた20~200人の構成員からなる社会共同体。ファミリアと呼ばれる)のメンバーが別の墓の石のベンチで休んでいる。二人の老人と若い女性が一人。そして中年男性が一人。名前はトム・エヴァンス。休暇中のビジネスマンのように見える。炭酸飲料の缶をすすりながら、亡くなった親族の弔い話をしている。故人がそれを聞き入っているのだという。お互いに話を続け、英語にロマ語が混ざる。ロマ語はアメリカで今も生き続ける移民言語のひとつだ。テキサス大学の言語学教授でロマの活動家でもあるイアン・ハンコック氏によれば、何世代にもわたって瀕死の危機に晒されることなく伝えられてきたという。
フォートワースにロマは何人住んでいるかと尋ねると、女性のお年寄りがスカーフから顔を出してきっぱりと答えた。「わたしたちはジプシーよ。」そしてコーラをすすった。「ヨーロッパにいるジプシーと同じ仲間さ。何も違いやしない。」と男性の老人が締めくくった。また別の親族がアウトドア車に乗ってやってきて墓地の真ん中でピクニックの道具を下ろし始めると、「これは家族の習慣なんだ。」とトムが説明する。男はポテトチップスの袋、サンドイッチの材料、デザートそして炭酸飲料を取り出した。トムによれば休日にはよく死者の傍らでソフトドリンクを飲んで、空き缶を残していくのだという。
もう何十年もエヴァンス一族はダラスの新聞に取り上げられている。地元の病院で1954年、75才になるローズィー・エバンスが負傷したこと、また1970年には別の親族が癌の手術を受けたことなど何人もの報告が残されている。エヴァンス一族は読み書きができて仲間内のリーダー的存在だった。1976年ロマの子供の教育に熱心だったサム・エヴァンス<大尉>がダラス・モーニング・ニュース紙に語っている。「アメリカの人々はとても正当にわたしたちを取り扱ってくれる。(中略)アメリカ人でいられる限りアメリカ人でいるさ。」
テキサス・ロマ
 墓地からそう遠くないところにホワイト・セトゥルメントの住宅街がある。やたらとガソリンスタンドが多く雑貨屋と住宅が並ぶ平凡な街並みのこのあたりは、高速道路の高架の向こう側の大型ショッピングモールを中心に開発が進むエリアとは無縁のようにみえる。トレーラーハウス(キャンピングカー)の駐車場もこのあたりでよく見かける光景だ。その多くはロマの家庭が所有する。ホワイト・セトゥルメントはアイルランド系トラベラーの一群であるグリーンホーンが集まって住む場所でもある。移動生活をする一族でロマと似て家の修理や雑多な仕事で国中を回っている人々である。
フォートワースはヒューストンと並んでテキサス州でロマ人口の多い地域で、アメリカ全土で100万人と言われるロマ系アメリカ人のうちのおよそ2万人が暮らす。その多くはロマニチャルとヴラフと呼ばれるグループだ。ヴラフは正教会派のキリスト教徒でクリスマスとイースターを両方祝うのに対して、ロマニチャルはたいていプロテスタントである。両グループとも改宗してキリスト教徒になったロマがほとんどだ。この新しい信仰は占いやお見合い結婚などロマの文化習慣に合わないと考える人々もいる。アメリカにはほかにも様々なグループのロマが暮らしているが、ハンコック氏は方言の違いが集団間の交流を妨げていると語っている。
(市橋雄二/2011.6.18)※次号につづく。