革命と神話的余韻:エチオピア映画『テザ 慟哭の大地』

アフリカ最古の独立国であり、1974年の王政廃止クーデター後、社会主義エチオピアを目指しながらも、軍人政治による恐怖政治、粛正の嵐を体験したエチオピアの知識人の視点から近現代史を捉えたエチオピア映画である。が、この映画にはアフリカ映画独自の香りが凡百の政治映画の枠を超え、神話的余韻をたたえた異色作となっている。
監督はハイレ・ゲリマ。1976年に製作した代表作「三千年の収穫」(ロカルノ国際映画祭 銀豹賞)で、アフリカを代表する映画作家として知られるようになる。
 
主人公(アンベルブル)は1970年代医者を目指し、故国エチオピアを離れ、ドイツに留学するが、そこで受ける人種差別などから、己の存在理由を確認するためにも故国への思いを強くしていく。母国の変革を目指して運動に参画し、やがて1974年の革命にいたる。期待を胸に帰国したものの、軍人政治による恐怖政治が横行した現実に絶望するアンベルブル。ヨーロッパにおいては異邦人として、己の居場所を模索し、母国においては知識人としての振る舞いに迷う。救いのない現実に押しつぶされそうになるアンベルブルの暗い表情が印象的である。
前半は寓話的な話からはじまり、次第に過去と現在のめまぐるしい交錯するイメージからアルベルブルの苛酷な体験が浮かび上がってくる。それは中国の文化大革命をテーマの幾多の映画で描かれ、ポーランドやグルジア映画でも繰り返し描かれた革命期に生きる知識人の悲劇的な人生模様である。あくまで絶望的で、暗く長いトンネルを進む物語だ。
こうした絶望のふちにあって、アンベルブルの母親と謎の女アザヌが唯一、肯定的なイメージに包まれ、画面に希望を灯してくれる存在として描かれている。女性が象徴化しているともいえよう。
故郷の貧しい村の描写は大地から匂いが漂うようでもあり、荒涼とした風土は神話的でもある。村人たちは因習的でありながらも、どこか素朴、童話的な存在に見えてくるのである。寓話的な村の様子とアンベルブルが体験する苛烈な一種の文化大革命的な波が並立するアフリカの現実をどう捉えれえばいいのかを見るものに迫る。
単なる政治的現実に翻弄された知識人の悲劇という図式化されたものではなく、アフリカの大地に根付く風土と精神文化の有り様が独特のニュアンスを生んでおり、この複雑性、多様性がこの映画の魅力といわねばならない。政治的な人間といえども、このアフリカ的風土からは離れなれないはずだという監督の思いを感じたのだった。
テザの意味は朝露と幼少期の二つの意味があるという。
本作品はヴェネチア国際映画祭2008のコンペティション部門に出品され、審査員特別賞・金のオゼッラ賞(脚本賞)・SIGNIS賞をトリプル受賞している。