一輪の花の力~苦海からの語り部(石牟礼道子)


2月26日夜のNHKETV特集「花を奉る 石牟礼道子の世界」はひとりの人間の持続する想念がいかに世の中の不条理を撃つ力があるかを証明するような番組だった。水俣育ちの石牟礼道子が水俣病を文明の病として、半世紀にわたり書き続けてきた「苦海浄土」を頂点とする一連の作品群は現代文学の世界において、その深さ、普遍性、訴求性において圧倒的に屹立する存在である。
TVで特に胸にきたのは発せられる水俣の方言のたぐい稀な美しさだ。浄瑠璃を聞くときの陶酔感すら覚えたのだった。不知火の海の漁を食した人々はチッソ工場の垂れ流し続けてきた水銀に犯され水俣病を発症した。
その人々を訪ね歩いた詳細な聞き書きからは水俣病患者のほとばしるような情念が立ち上がり、それは水俣病患者の思いが石牟礼道子の肉体を通じて語られるかのような文体である。
ここから受ける感覚は、民俗学者宮本常一の聞き書き「忘れられた日本人」に収められている「土佐源氏」で味わった感銘にも通じるものがある。
水俣という土地で育まれた言葉で語られる方言や言い伝え・伝承のいかに神話的な色彩を帯びていることか。そうした神話的な世界に生きてきた水俣の人々の苦界を声高に告発するのではなく、人々のこころの奥深くのヒダに分け入り、鋭く優しくその思いをおのれの筆に乗せる。そこには取材者としての姿勢はなく、水俣病を患う人々の思いをすべて己の体内にためこみ、ついにはとうとうとあふれ出してくるかのような語り口であり、語り部なのだ。
当時,10代だった水俣病の患者は施設にはいり今は、50代半ば。風雪の残酷さが画面を覆う。彼を訪問し、「苦海浄土」に書きとめた亡き祖父の言葉を石牟礼道子が(孫である男に)読んで聞かせるシーンは美しく心を打つ。身内は逝き、言葉も発することができない車椅子の患者の表情が微妙に笑み、ゆがむ。石牟礼道子が「これを書くのに40年かかったよ」と男に語りかけるのだ。2人の間に流れる万感の思いが、痛いほど伝わってくるシーンだった。また、車椅子に乗る石牟礼道子を同じ施設の女性患者がやってきて「がんばって」と石牟礼道子を励ますのである。思いもしない励ましに泣くしかない石牟礼道子。
半世紀に及ぶ水俣の人々の「苦海浄土」がつむぎだした奇跡的な浄土か。
3・11大震災の世界についての石牟礼道子の詩。
花を奉る
(略)
現世はいよいよ地獄とや云わん
虚無とや云わん
ただ滅亡の世迫るを待つのみか
こゝに於いて
われらなお
地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌す
2011年  大震災の翌月に
番組中で3・11の震災の体験の意味を「全感覚で生まれ直す体験をした」と。
さて、水俣には石牟礼道子という稀有な語り部が存在しているが、福島には存在するか。それは「放射能が降っています。静かな静かな夜です。」(『詩の礫』)と書いた詩人和合亮一なのだろうか。