トリアー監督の最新作「メランコリア」

「アンチクライスト」に続くラース・フォン・トリアーの最新作である。まず導入からワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の壮麗な調べにのって、宇宙映像詩が奏でられ、あたかもオペラ・楽劇の序曲のごときである。官能的、神話的なワーグナーの調べで見る者を一気に劇的世界に引きずりこむ力技である。下手すると下心が透けてあざとさに陥るが、トリアーは正攻法で押し切る。
第一部ジャスティン
主人公ジャスティン(キルスティン・ダンスト)が新郎マイケルとともに結婚パーティーに2時間遅れで到着するという導入から、ただならぬ展開を予想させる。パーティーでの数々の異様な光景や振る舞いが次々に起こる。母親による異様なスピーチ、度々、ジャスティンはパーティーを抜けだして豪華なゴルフ場の芝で星座を見ながら放尿し、他人とセックスし、風呂に入る、居眠りをする。ひいては上司にむかって罵詈雑言を浴びせ、その場で首になり、新郎も精魂尽き果てて会場を去っていく。
明らかに精神を病んでいるジャスティンの奇行の積み重ねはそのまま常識社会への反逆性を内包した時限爆弾みたいなものだろう。
第二部クレア
姉クレア(シャルロット・ゲンズブール)は廃人のようになったジャスティンを引き取り、療養させる。クレアはアンタレスをさえぎり、地球に異常接近してくる惑星メランコリアが地球に衝突するのではないかとおびえている。夫は不安から自殺する。一方、病んだジャスティンは「終末」が近づいてくるにつれ、「地球は邪悪だわ」と言いつつ表情が安らぎ、心の平安を得る。ジャスティンは森で拾った木々で「シェルター」を作り始める。
既成の概念や常識がまかり通る世界へのアンチテーゼとしてジャスティンは存在し、病んだ者だけが見える真実を提示する。異常にも思える鋭敏な感覚は地球上の人間社会が長年かかって失ってきた大切なものかも知れない。
心地よい肌触りのいい映画があふれるなかで、トリアー監督のように時には危険な毒を含みながらも常識の欺瞞性を暴き続ける反逆性は貴重な存在だ。己も鬱だとするトリアー監督の次回作を期待する。
映画全体としては構成的に冗漫であり、やや長すぎるシーンも目に付き好き嫌いが別れる作品だろうが、見てから時間がたつにつれ印象度が増してくるのは間違いない。