≪ジェレム・ジェレム便り33≫~失われつつあるインド古来の食習慣(あるロマ・ジャーナリストの手記)

  • 最近まで、ロマの男であれば前日の食べ残しは口にしなかった。男性は食べ残しには触れることはなく、もしそのようなものを食卓に出そうものなら女性は怒鳴られた。男性だけでなく女性や子供も古くなった食べ物を嫌う。これはロマが依然として守っているインド古来の習慣のひとつである。
    ロマは毎日その都度調理をし、昼食に作ったものを夕食に出すことはしない。そうしたものは腐敗しているので食べてはいけないと信じているためだ。ロマの中には厳格にこの習慣を守っているものもいる。そのために女性は掃除をしたり子供の面倒をみたりする以外に一日に何度も料理しなければならないのだが。
     しかし、ロマの若者、たとえばチェコに出稼ぎに来ているものの中にはこの習慣を手放しているものがいる。経済的理由と自由になる時間がないためにそうせざるを得ないのだ。
    また、ムラダー・ボレスラフ(シュコダ自動車の本社がある町)で家庭をもった私たちのようなカップルの場合、夫またはパートナーが三交替シフトで勤務しているので、妻あるいは女性は親族の手伝いなしに家事や育児をこなす時間ができるが、食事時間がまちまちになるため、二日分の食事を作り冷蔵庫に入れざるを得ない。私のパートナーが私のことを気遣って、このやり方を提案したときにはショックだったが、しかし受け入れざるを得なかった。彼もロマだが、もう何年も作りたての食事なしでやってきている。自由になる時間が少なく、食べ物を無駄にしないと決めたのだった。
    私自身は前日のスープは決して翌日に出さない、そんなことをしたら父親が鍋をひっくり返すという家庭で育った。チェコに来たときもこの習慣は身についていたが、前日の夕飯の残り物を捨てようとしたときにボーイフレンドを驚かせて以来、それが大きく変わったのだ。私の母は毎日2、3回食事を作った。もちろんお金はかかるが、「古くなった食事は食べるものではない」と言って、この習慣をただただ守ってきた。
     しかし、私はこの習慣を緩めるしかなかった。そして、今では翌日の分まで食事を作り、自分のために時間を使う方が都合がよいと思うようになった。そのようにしても、今もちゃんと生きているのだし。ロマでない人は、腐ったものを食べなければならないときに「おえっ」と言うロマのことをあざ笑うが、ロマは3日前のスープを飲むなんて何てケチなんだと言う。
     私は先月スロバキアにいる親族を訪ねた。毎日たくさんの食べ物が捨てられるのを見て悲しくなった。義理の妹がポテトケーキを作った。あくる日、バーベキューをすることになり、誰もこのケーキに手を出さなかった。私のボーイフレンドと私はまだ食べられると言い、喜んで食べた。冷蔵庫に入れてあったんだから大丈夫よ、と言うと周囲の人たちは私たちを奇異の目で見ながら顔を歪めた。私たちはまるで別世界から来たような気分を味わった。
     もう一つロマがまだインドにいた時代にさかのぼる奇妙な習慣がある。女性が子供を産むと、不浄だからという理由で6週間料理することを許されないのだ。同じコミュニティの別の女性が、その家族のために料理をすることになっている。しかし、今ではこの習慣はもう残っておらず、他の家族のために料理をする女性もいない。誰かが産後に食べ物を届けるということはあるが、古い習慣に囚われない夫であれば、自分で妻を手伝うだろう。そうでなければ、自分で料理するしかない。
    現代の速いペースは、古い習慣を脱ぎ捨て、新しい環境に適応していくことを私たちに強いる。どの国でもやがて博物館の展示になるような古い習慣を失っているときに、それは避けられないことだ。どのように伝統を保持してきたのか、その伝統は何を表しているのかについて長老たちに尋ねるしかない。残念ながら、いくつかの伝統は文字として記録されるのみだが、次世代の人々はそれによってはじめて自分たちの歴史やルーツを知ることができるのだ。
    (市橋雄二/2012.10.21)