町や村を転々とし、占いや季節労働、空き瓶回収、物乞いなどによって糊口をしのぎ、周囲からは汚らしく、不吉な存在だと思われている。
その生活様式はいくつかの点でヨーロッパのロマに似ている。しかし、何世紀も前にインドをから移り住んだ可能性を共有する以外両者のあいだに直接のつながりはない。
文化人類学者たちによると、ムガートはカースト制度を維持するなどインド起源の確かな証拠があるという。しかし、部外者にはムガートの日々の暮らしはほとんど知られていない。<リュリ>の名でも知られる彼らはかたくなな閉鎖社会を保ち続けているのである。
このことは多くのウズベク人にとっては好都合でもある。人々は通りでムガートだとわかると避けるように歩き、その存在を口にすること自体がタブーとされる。
ウズベキスタンの首都タシケントの写真家アレクサンドル・バルコフスキーも長年この同国人たちを恐れてきたが、やがてそれが好奇心に変化した。ムガートの人々のことを知り、その世界を理解したいと思うようになった。
<バルコフスキーはムガートの信頼を得て写真を撮るために2年を費やした。その成果をムガートの母親と子供たちを描いたリトグラフ集<ジプシーのマドンナたち>にまとめた。バルコフスキーは現在この集団に関する初のドキュメンタリー映画を製作中である。
(市橋雄二/2013.2.25)