小沢昭一:芸の精髄~「唐来参和」DVD化





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    引退のための興行として1983年から2000年まで延べ660回の公演を重ねた小沢昭一の代表的な演目である。ひとり語りの形式をとりながらも、従来のひとり芝居とは趣を異にする、いかにも小沢昭一がたどり着いた芸風を明らかにした芝居だ。
    井上ひさしの「戯作者銘々伝」のなかの一篇、「唐来参和」を読み下す異色の芝居である。
    構成は2つに分かれており、1部は小沢の漫談フリートークとでも言うしかない独特な味わいを持つ。吉原にまつわるさまざまな事象や歴史的、風俗的変遷や成立事情を巧みに展開しつつ、2部への予備知識やヒントをさりげなく散りばめていく。このくだりの運びは話芸的にも表現手法的にも絶妙で、時事の話題を交えながら一気に客席の心を掴んでいく。
    吉原誕生の裏話や新旧吉原への指摘、吉原細見(吉原情報誌)、洒落本,黄表紙、戯作者などから井上ひさしの「戯作者銘々伝」に至り、いよいよ本筋に入るのであるが、扮装の変化や舞台美術の設定まで手際よく進む。ここまでが50分という長大な枕である。単なる導入部というより、これ一本で十分お金が取れる名人寄席芸だ。
    話は、今は、しんこ指つくりに身をやつす老婆の回想である。かつて彼女は加藤源蔵という男の嫁であったが、亭主の性癖で2度までも郭に売り飛ばされ、苦界に身を沈めるという境遇を味わった。男は、酒が入ると、おかしくなり人の意見の逆を行くという癖がある。胸の奥のからくり、仕掛けが自分でもわからない、気まぐれいっぱいの性格の持ち主なのである。一時は唐来参和という戯作者で名を成すほどだった男もやがて落ちぶれ果てて、ついにかつての恋女房に遭遇するのだが・・・。
    小沢昭一が演じる源蔵と女房の発する言葉や身のこなしからは江戸時代に生きた人間の体臭や息遣いが生々しいほどに伝わるのだが、小沢の仕掛けは複雑で奥深い。悲しくて,可笑しい振る舞いや言葉のやり取りに思わず笑うが、その笑いにはすぐさま冷や水がかけられる。ひとつの感情に浸されておれないのだ。ゆすぶられるように、さまざまな虚実皮膜の表現に引きずり回される。江戸の薄幸の女に感情移入していると、いつのまにかギャグに見舞われるといった具合。
    しかしながら、最後には人間の不条理な運命に熱い共感を滲ませながら、泣き笑いの悲喜劇は完結する。人間の内奥に潜むデモーニッシュな存在に圧倒されながら、深い劇的感動に身を浸す。なにか凄いものを見てしまったという思いにとらわれるのである。
    最後に本DVDに寄せられたと二人の文章を一部紹介する。
    「名人たちの芸は古来よりどのような構造を持ち、どのような手練手管で実行されてきたかの、これは一瞬も見逃せない教科書である。だから芸人はみな観なければならない。」(いとうせいこう氏)
    「幼いころから慣れ親しんできた落語、講談、浪花節に加えて、万歳、浄瑠璃、説教節から紙芝居やからくり、大道香具師の口上にいたる、ありとあらゆるこの国の話芸を内臓した、小沢昭一の役者的教養に裏打ちされたものなのだ。」(矢野誠一氏)
    矢野氏の文章には、小沢さんの畏友ともいうべき演出家、早野寿郎氏の小沢さんとの関係が触れられている。重要な視点であり、敬服。
    解説書が充実してるのも嬉しい。
    いとうせいこう、矢野誠一の書き下ろしを始め、公演パンフレットより再録した小沢昭一、井上ひさし、長与孝子の文章が載っており、親切な編集だ。
    しかも全660回の公演日付、主催団体、会場、ステージ数そして観客動員数が載った上演記録が載っており資料的価値も高い。
    追記:この作品のビデオ編集の思い出。編集に際しては小沢さんの注文はクローズアップはできるだけ避けて、舞台全体を見せるロングカットを多用するようにとのことだった。
    しかし今、改めて見てみるとアップで見る表情がなつかしく、小沢さんの絶頂期の表情が確認できて嬉しいのである。在りし日の姿を見るのが、つらいのでなかなかDVDを観られなかったが、観はじめると、いつのまにか、見入ってしまっていた。
    DVDはビクターより発売中。
    小沢昭一の
    唐来参和