アメリカ人日本文学研究者の価値ある試み〜「井上陽水英訳詞集」(ロバート・キャンベル)

本書には題名の通り井上陽水の歌詞50編の対訳が収められている。アメリカ出身の筆者はハーバード大学大学院で日本文学を研究したあと1985年に来日し、30年以上日本の大学で教鞭をとった。近年はテレビやラジオでも活躍していて、その親しみやすく優しい語り口から好感を持つ人も多いことだろう。
本書は英訳そのものの味わいもさることながら、「陽水さんの歌詞を訳そうと思ったわけ」と翻訳までの道のりが丁寧に語られる前半部分に惹きつけられる。
筆者は学部生時代の1979年に最初に日本を訪れた。当時流行っていたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に夢中になり、フォーク、ニューミュージックのヒット曲を聞く中で、井上陽水は上手い、と思ったという。こうした出会いを経て、筆者は次第に陽水の歌のファンになっていく。そして、10年ほど前突然大病を患った時、死まで覚悟するような「煉獄の苦しみ」の中で、「陽水さんの歌詞世界に深く降り立つことが次第に心の糧になっていった」のだという。つまり、歌詞の翻訳は極めて個人的な動機から始まっているのである。
この老練な日本語の専門家は、「日本語自体が英訳するに際しての悩みが尽きない言語」だと言って、翻訳の手の内についても赤裸々に語っている。日本語の場合、単数か複数か、男性か女性か、時間の前後関係はどうかなど英語の文を作るために必要な要素が文中に示されないことが多いため、翻訳者は自らそれらを決定しなければならず、そこが悩ましい。「日本語で生活している日本語話者にとってもわかりづらい」陽水の歌詞の場合なおさらだ。本人に確認できればよいが、そんな無粋なことに答えてくれるとも思えない。
しかし、ここで奇跡(的なこと)が起こる。筆者のFMの番組にゲストとして出演した井上陽水が、無粋を承知で歌詞について語り始めたのだ。このくだりは本書の中でもっとも印象的なエピソードのひとつだ。永井荷風や宮沢賢治、江戸時代に流行ったイソップ寓話や戯作、さらには河野多恵子などさまざまな文学作品が引き合いに出されるが、「陽水さんの言葉が日本文学の系譜に連なっていることを確信」する筆者としては自然に胸に浮かんできたのだという。また、語呂合わせや音遊びなど英語に移し替えると台無しになるような歌詞についても筆者なりの試みがなされていることが述べられている。
私たちが井上陽水の歌を楽しむのに英訳が必要になることはまずないだろう。そもそも、陽水の歌は意味の解釈を寄せ付けないし、それこそが陽水らしさでもある。今回の英訳歌詞集が果たしたのは、これまで誰もあまり近づこうとしなかった、そして陽水自身も多くを語ってこなかったその歌詞を読み解き、ひとつの答えを出したことだろう。それは、希代の日本通の学者が英語というフィルターを通し自身のキャリアの全てを投入して初めて可能になったのだ。陽水の歌の真価を再認識できる一冊である。
(2019.8.18/市橋雄二)