「王の没落」〜イェンセン著 16世紀デンマークの歴史小説

北欧神話というと必ず思い起こす映画がある。イングマル・ベルイマン監督の「処女の泉」(1961年日本公開)である。当時、黒澤明と並び称された巨匠であり、この映画が日本人に与えた影響は大きく、私の北欧のイメージ形成に多大な影響を与えたのは間違いない。全編に漂う静謐さと突然の破綻で描かれた中世北欧の神話の不条理な物語には、黒澤の「羅生門」に通じる神への問い、対話があった。

北欧文学の珠玉「王の没落」は120年ぶりに初日本語翻訳され、2021年コロナ禍に出版された北欧神話を想起させる一大叙事詩である。作者ヨハネス・V・イェンセン(1873~1950)。1900年~1901年にかけて執筆された15世紀末から16世紀初頭の北欧が舞台。

第一部「春の死」(1497~1500年)第二部「大いなる夏」(1520~23年) 第三部「冬」(1535年以降)の構成。

これらの時代を象徴していたのがデンマーク国王クリスチャン2世(1481~1559)だった。クリスチャン2世は1513年に即位して以来、スウェーデン攻略の時機を狙い、1520年に実現して、自らスウェーデン王として即位する。その際とった手段が、カルマル同盟(注)に反対するスウェーデン人の有力者を大量に処刑するという、「ストックホルムの血浴」だった。北欧諸国間の平和は崩壊し、自らの権力を破滅的に利用するまさにその凶暴さによって、クリスチャン2世は没落への一歩を踏み出す。

「王の没落」の主人公は学生でのちに傭兵となるミッケル。その悲劇的な運命は栄光の絶頂から没落に至った国王クリスチャン2世のそれと重なる。ミッケルとその周辺を彩る多彩で、生き生きとした人物描写が16世紀の北欧社会の有り様を偲ばせる。各々の青春群像のほろ苦く、苦悩に満ちたエピソードは人生後半に待ち受ける破局的結末へと収斂していく。

一貫する神話的なイメージには生誕と死、発展と没落、存続と消滅などの相反する概年が隠喩的に織り込まれて物語を豊穣な色彩で彩る。こうしたイメージの飛躍は言語的に再構成されて意味が拡大し、そうして「神話」となる。特に物語のラスト近く、クリスチャン2世とミッケル、ヴァイオリン弾きのヤコブ、ミッケルの孫娘イーデを巡る描写はイメージの飛躍の連続で神話の世界に突入していく。

こうした全編を覆う重苦しいペシミズム。共感を寄せにくい優柔不断で憎しみを通してしか熱情のはけ口を得ることができないミッケルの行動、心情。そして複雑すぎて、作品全体を貫く筋が追いにくい。このような小説がなぜ「20世紀最高のデンマーク小説」として読者の心を掴み続けているのだろうか。

生と死にまつわる普遍的で実存的な問いかけが全編を通底していること。そして聴覚、幻覚を駆使する感性に彩られた文体表現力、詩的創造力。多様な比喩が畳み掛けられている語り口。これら全てが物語の要素を十全に満たしているからだろう。

自然描写も多彩だ。ミッケルがデンマークの故郷に戻った夏の夜の「夏の夜ははもう暗くならず、温度も和やかな薄闇が降りるころに草地と小川が靄に覆われる程度までしか下がらなかった・・・」等々、作者がいかに故郷の自然に親しんでおり、誇りに思っているかを忍ばせる。そうした自然の中で生きている人間の営為を慈しむ心根が作品を支えており、そのことが読者を励ましているのではないか。(岩波文庫刊)

(注:1397年、デンマーク、ノルウェイ、スウェーデンで締結された同盟)

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