「暴動」ではない。チベット民族の抗議行動と漢民族との相容れない相克

■2008.3.18  「暴動」ではない。チベット民族の抗議行動と漢民族との相容れない相克
○前々回のこの欄でビョークのコンサートでのチベット独立シュプレヒコールについて書いてから、ほどなくチベットで抗議行動が起こった。日本のマスコミ、新聞、テレビなどの多くがこのチベット抗議行動をチベット暴動、ラサ暴動と称していることはことの本質を伝えない恐れがある。テレビニュースなどに流されている映像などはほとんど国営の中央電視台CCTVが意図的な編集を施した海外向けの映像であり、治安軍などが発砲している映像はオミットされている。群衆が乱暴狼藉をしているかのような印象を助長する映像が多い。検閲された映像はイラク戦争でも垂れ流され、この戦争の実態が曖昧にされてきたのは今や明らかである。(戦闘場面のない奇妙な戦闘映像の連続!)同じ過ちを日本のマスコミはすべきではない。これらの映像の性格をきちんとコメントすべきである。
暴動という言葉には無秩序の破壊・無法者の乱暴狼藉という意味合いが濃いが、今回のチベットを初めとする青海省、甘粛省、四川省など旧チベット地区でチベット族が多く居住する地域での抗議運動はあくまでチベット族が漢族に対して起こした抵抗運動としてとらえなくてはならないと思う。この点を早速指摘した藤原新也の着眼は的を射ている。ざっとみたところでは読売、毎日は暴動と称し、朝日、日経は騒乱、サンケイは両方使っているようだ。
長年歴史的に蓄積されてきたチベット族の民族的鬱屈が噴出しているのである。ラサなどは実質的人口は漢族が過半数をこえるまでに増加して、経済的果実は多く漢族の人びとにもたらされている。遊牧・農耕の民、チベット族と定住型農耕民族にして現代中国の主流の経済を握る漢族の力関係は圧倒的に差があり、その差は定住の論理と非定住の論理の相克の結果であり、地球規模で定住型文化が非定住型文化を駆逐している一環であることを考えると、現代史はまたもや無慈悲な残酷なページを記しているのだろうか。今後の展開をみつめたい。

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