痛快な快作!「ウルトラミラクルラブストーリー」

■2009.6.12  痛快な快作!「ウルトラミラクルラブストーリー」
●この映画が実質的なメジャー映画のデビュー作である横浜聡子監督は今後注目すべき才能の持ち主である。デビュー作というものは作家がかかえている問題意識・テーマを半ば無意識的に、包括的に提示している場合が多いのだが、「ウルトラミラクルラブストーリー」は典型的な場合だろう。
舞台は青森県の海に近い町。やることなすことがすべて常識はずれのヘンテコ農業青年(松山ケンイチ)と訳あって東京からやってきた幼稚園の先生(麻生久美子)、青年のおばあちゃん(渡辺美佐子)、青年を診る医師(原田芳雄)、呪術師の女(藤田弓子)、女が勤める保育園の園児たち、そしてノゾエ征爾、ARATAなど。ストーリー性は特に起伏に富んでいるわけではなく、女に恋をした青年のトリックスター的な言動を中心に進んでいく。彼の振る舞いに奇妙なリアリティーがあるのは俳優、松山ケンイチの功績だろう。
まず、全編が青森弁で通されていること、そして農作業をする青年と幼稚園の臨時先生の女性を中心にすえたこと、これらが作品全体の基調としながら、中央ではない周縁性、地方性、正統ではない異端性、土俗性、呪術性、神話性などに軸足を置いた目線が画面のすみずみに行き届いている。
話の展開は荒唐無稽で強引である。農薬を浴びると脳が活性化するという脳、心臓が止まっても生き返る体、首がない人間との会話などの破天荒なエピソードが画面に異常な活性を与え、日常から飛躍した奔放なイメージが次々と展開する。それでいながら何故かおばあちゃんや青年の野菜つくり農作業を繰り返し描写する。
通常のドラマの進行を予想する観客の思いを軽々と裏切っていく痛快な演出は世の中にはびこる常識性を一つ一つひっくり返す作業でもある。奇跡的、不思議な出来事を重ねながら美しい森のなかで迎える結末も破天荒なものであった。
一見無鉄砲にみえる演出ながら現代社会が抱える中心的諸課題のいずれにも適確な視点をすえているところが並みの監督ではない。閉塞感を切り開く破れかぶれのエネルギーに満ちた才能に期待したい。

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