仏映画「パリ20区、僕たちのクラス」

第61回カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞した話題の作品。舞台は、パリ20区にある中学校のひとつのクラスで、主な登場人物は、出身国も生い立ちも、人種・民族も異なる24人の生徒(14~5才くらいか)たちと、フランソワという国語(フランス語)教師である。
ほとんどのシーンは教室と職員室に限られ、一見、ドキュメンタリーではないかと思うくらい、真実味、緊迫感がみなぎる話が展開してゆく。それはなんといっても教師・フランソワと24人の生徒たちとのあいだで交わされるコミュニケーションから生ずる生々しい臨場感・真実味に由来する。
人が人を教える(教育)とはどういうことなのか、人類は人種・民族のあいだの貧困、差異や偏見を乗り越えて共生できるのか、ことばで自分を表現し相手を説得することにより、生きていくことの苛酷さ、これらはいずれも現代世界が抱える解決困難な社会矛盾であるが、このクラスは世界の矛盾をそのまま鏡のように写し出す縮図である。 
教師と生徒そして生徒同士の対話からさまざまなことを次から次へと想起させられる。 まず、子供たちの存在が素晴らしく、この映画の価値を高めている。既成のプロの俳優たちが顔色を失うほどの自然な振る舞い(演技)は、綿密に組み立てられた撮影前のワークショップにあるようだ。リハーサルは子供たちの個性を巧みに引き出す意図の元に綿密に重ねられ、構成も緻密でカメラワークなども適確である。アフリカや中国から移住してきた子供たちはクラスでも多くの割合を占めながらも、フランス語には悪戦苦闘している。だが、自分のことばを必死でさぐりながらフランソワ教師と繰り広げるスリルに満ちたことばのバトルがこの作品の価値だ。  
この映画のふところの深いところは、希望の乏しい未来に生きる子供たちにたいして、予定調和的な結末を用意せずに、違いを超えて共存していく社会の苦い現実を突きつけているところだ。 そして教育への希望を抱かせるシーンは重要なメッセージをはらんでいる。1年間学ぶことを拒否してきた少女がプラトンを読むことによって、ソクラテスの対話法に感動したと語るシーンである。そこから、われわれはある希望を感じ取り、彼女の覚醒する魂を感じ、なんらかの教育にたいする希望を感じずにはいられない。こころを打つシーンだ。 
虚実皮膜とは事実と虚構の中間に芸術の真実があるという近松門左衛門のことばだが、この作品もそのことばの意味を思い起こさせる。
ドキュメンタリー映画をみる要諦は、映像に移っていない裏側の部分をいかにイメージできるかである。すぐれたドキュメンタリー映画ほど、カメラに写し出せない部分、氷山の海面下の部分にこそ巨大な真実が存在することを教えてくれる。 そしてすぐれた虚構の積み重ねであるドラマは真実らしさを徹底的に追求していく中で、突然訪れてくる現実を止揚する映画空間を我々に見せてくれる。 ローラン・カンテ(監督・脚本) フランソワ・ベゴドー(原作・出演) 2010年6月12日から 岩波ホール。