情熱と狂気~作家の業の深さ:「表裏井上ひさし協奏曲」――西舘好子 

井上ひさし前夫人、西舘好子による井上ひさしとの25年に及ぶ壮絶な生活回想記。とにかく一気に読ませる筆力はたいしたものだ。手馴れたプロの文筆家では出せない直裁な表現と鋭敏な直感力で、複雑に屈折している作家の心の内側を鮮明に浮かび上がらせた。
元妻という視線で書き上げられた文章は好子氏側からの一方的な見解で、そうしたバイアスがかなりかかったものとして、割り引きながら読んでもやはり相当屈折したこころ模様である。しかしながら、ひさし氏が生きており、反論を書けば、180度違った様相を見せるかもしれない。
井上ひさしは東北生まれ、強烈な個性を持つ母親マスから生まれ、孤児院へ入る複雑な出自を背景に抱き、好子は東京下町のかもじ職人の娘で、チャキチャキの江戸っ子というそれぞれが両極端のバックグラウンドを持つことから生じる亀裂は次第に修復不可能になっていく。
井上ワールドは湿気のある情緒、義理人情を拒否する乾ききった笑いが底流にあり、好子が育った江戸情緒を伝える人情、抒情で繋がる人間関係を否定し、認めないところが出発点みたいなものだ。出会い当初からしばらくは互いにないものをもった相手に新鮮なものを感じながら、次第に相容れない互いの本質がぶつかり合う。
  別れる直接の原因と思われるひさし氏の好子氏への壮絶なDV行為は人間の業の深さを思わせ、暗澹とするし、そうしたデモーニッシュなものを抱えた内面のみが生み出すことが可能な作品群なのかと思うと文学とは何なのかと思う。一将功なりて万骨枯。
しかしながら、読後は後味が悪くないのは何故なのか。好子氏のひさし氏を見る目は澄んでおり、雑念や不純な思いで曇っていないのが救いだ。どろどろした怨念のようなものが感じられない。
芸術至上主義を貫くひさし氏と彼の遅筆から起こる経済的、道義的、世俗的な深刻な影響は各方面に及んでいる。(私も)仕事の中で、接点をもった人々も数人おり、当時を思い出しながらの感慨にもふけったのである。

まず、五月舎の本田延三郎氏。
「井上さんの演劇界での恩人を挙げるとすれば、一も二もなく本田延三郎さんだ。彼の制作による演劇が、井上ひさしの演劇界での地位を決定付けたといっていい。」(235P)
本田氏が渋谷に創設される西武劇場(現パルコ劇場)のこけら落としの芝居に井上を起用しようとしたのだ。そして名作「藪原検校」が生まれた。このとき経緯は忘れたが、当時レコード会社のディレクターだった私にレコード化の話があり、本田さんにお会いした。本田さん直接から話があったのか、人を介してかは思い出せないが、本田さんの奥行きのある人柄はすぐに伝わった。当時の演劇界の巨人だった本田さんだが、そんなそぶりは少しも見せなかった。高橋長英、太地喜和子、財津一郎、演出が木村光一という目も眩むスタッフだった。そして音楽は井上さんの実兄、滋氏がギターの生演奏出演。
その本田さんが痛烈に打撃を受けたのが、本著にも出てくる遅筆による「パズル」の上演中止事件。(1983年)これにより多大の負債を背負ったようである。
人気作家、井上ひさしの芝居は、プロモーターや観賞団体などからはドル箱扱いで、日程が決まれば、公演依頼が殺到する。なんども初日の幕が開かない事件を起こしながらも、上演に至れば、圧倒的な動員を実現し、劇評も好評だ。幕が上がらない事件を何度も起こすひさし氏に、脚本がすべて出来上がってから、日程などを決めればいいと他人は思うが、彼はテーマを決めた脚本依頼があり、芝居の日程が決まらないと書く気が起こらないという癖をもつ。絶望的な状況に追い込まれないと、書けないという生癖は、人から見れば笑ってしまうが、当事者たちは地獄を見る。初日が数日後に迫っても、台本ができず、俳優たちは急に膨大なセリフが回ってきても、覚え切れなく、舞台上でさらしものになるのではないかという恐怖感に襲われ、降板を申し出るものも出る。
小沢昭一さんもひさし氏とは浅からぬ縁があり、主謀劇団、芸能座で井上書き下ろし作品「浅草キヨシ伝」「しみじみ日本・乃木大将」「芭蕉通夜舟」を上演したが、どれも締め切りに間に合ってない。このときは小沢さんとの「日本の放浪芸シリーズ」直後のことでもあり、芸能座の芝居をレコード化する作業を通じて、井上さんの遅筆に翻弄される小沢さんはじめ芸能座スタッフの困惑振りを見ている。
読み物としても面白いが、直木賞受賞や大手出版社や文壇世界の不可思議な閉鎖世界は側面史として、文学界、演劇界、新劇界の裏面史としても貴重な資料である。(出版:牧野出版)