溢れるアフリカの精気:「謎の独立国家ソマリランド」(高野秀行)

  • 正確には、そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリアという副題がつく。ソマリランドはアフリカ大陸東端のソマリア半島(アフリカの角)に位置する共和制国家。アフリカの地図を思い浮かべてその詳細を理解できるひとは少ない。日本から遠方にあり、マスコミなどの報道もエギプトの蜂起やリビアの内戦などが断片的にされるだけで、その内実は分からない。内戦や飢饉などが報道の中心課題で、アフリカに対する図式的なイメージ形成に寄与するのみだ。そこにこの著が出た訳で、その内容に注目が集まっている。
    ソマリランド共和国はソマリア共和国内の北部にある。ソマリアは断片的な報道では多くの武装勢力が林立して無政府状態が続き「崩壊国家」だという。「リアル北斗の拳」とも呼ばれる。
    ところがソマリランド共和国は国際的には全く国として認められていないにもかかわらず、十数年にもわたって平和を維持している独立国家だという。イラクやアフガニスタンのように建前上は国家として認められているのに、国内はほとんどめちゃくちゃという例はあるが、その逆というのは珍しい。しかしながら、情報がないので、実態がよくわからない。そこで 高野秀行が何でも見てやろう精神で、出かけていったルポルタージュである。500ページを超える長篇ルポだが、とにかく面白い。
    全編通じてのキーワードは①氏族制度と②覚醒植物カートについてである。
    ①アフリカについての報道では部族社会という言葉が使われるが、著者によれば部族tribeは差別的であり、定義が曖昧で、最近は同じ言語と同じ文化を共有する人々をethnic group(エスニック・グループ)と呼ぶ。日本語では民族。
    一方、そうした民族の中に、さらに明確なグループが存在するときがあり、文化人類学ではclan(氏族)と呼ばれ、「同じ先祖を共有する血縁集団」と定義されている。ほとんどのアフリカ諸国では一つの国に複数の民族が同居しており、内紛の原因を作るが、旧ソマリアはアフリカでは珍しく、同国の95%以上が同じ言語と文化を共有するソマリ民族だった。ソマリア人が戦闘を行うのも、話し合いで奇跡の和平をしたのも氏族の単位による行為なのである。他のアフリカ諸国との決定的な違いである。
    著者の説によれば、氏族とは日本の源氏や平氏、北条氏や武田氏のようなものだという。この氏族という概念がソマリランドという奇跡の独立国を理解する鍵だという。
    ②カートとはニシキギ科の植物で、サザンカ、ツバキに似た常緑樹で、このカートを噛み、食べるという習慣で、意識の覚醒感と明晰さを持続することができるという。多幸感や人恋しさが増幅し、著者もほとんど中毒状態になる。カート宴会なるものが盛んで、彼らの本音を探る習俗の場として欠かせない。
      ときたま氏族制について複雑な説明に傾斜しすぎることがあるが、そこは適当に読み飛ばして先に進む。まずなによりもソマリランド人の描写が秀逸だ。日本人のメンタリティの真逆にソマリランド人のそれを規定する。離れすぎて,ついには背中同士がくっつく,同根異種ではないかと思うくらいだ。日本人のメンタリティのほうが、地球規模で計れば特殊で、ソマリランドのひとびとのそれはアジア人の中では中国、韓国人により近い。
    様々な困難や試練に囲まれているにもかかわらず、彼らの日常は生の実感に満ちている。さまざまな風習や習俗も興味深いし、著者の不屈の精神も小気味よい。ソマリ人を見つめる視線はバランス感覚に優れ、信頼すべき公平さと理解力に満ちている。このあたりは探検部出身で地球上の辺境地帯を体験してきた体験がものをいっている。
    海賊国家プントランドと戦国南部ソマリアでも取材するが、ソマリランドのように一人で自由には歩けなく、厳重な警備を雇わなければならない。しかし、そうした状況下でも現地の人々がそれぞれの日常を生きていることに触れる余裕と公平さがある。
    こうしたソマリアの混沌と不可思議な達成(ソマリランド)の内実を詳細に解明するのは、未だ誰もできないほど、現状は動いているようだ。この著は一人のジャーナリストが己の肉体をさらして、ソマリア人に肉薄した希有のルポルタージュで、今後、組織的、国際的な解明調査分析作業が行われるときには第一に参照されるべき文献になるだろう。
    本の雑誌社刊。