今の日本が抱える最大の矛盾の根源でもある苛酷な歴史的事実を、戦争体験から遥か遠い地点にいる20代の若者が何を掬い上げるのか注目した。
結果は沖縄の少女たちを通して人間の生きる希望とは何か・・・という地平にまで視座が届いただけでなくエモーショナルな演劇的感動に溢れた舞台だった。
始まりは少女たちが生活する全寮制の学校で多感な少女たちの活気溢れる日常会話の洪水にさらされる。セリフが早口で発声が割れて聞き取りにくくなかなか芝居に入れない思いがする。だが、象徴するシーンのリフレインを別の角度から見せる映画的手法に馴れだすとにわかに不明だったセリフの意味が分かりだし、舞台に一気に入り込めたのである。
彼女たちが看護部隊としてガマ(防空壕として利用された洞窟)に入ってからの劇的展開は圧倒的な迫力で息をつかせないほどだ。日常生活で繰り返されてきた言葉が、リフレイン(反復)される意味合いが徐々に悲劇性と象徴性を濃くしていく。そして独特な身体表現と相まって刮目すべき劇的空間が展開する。銃弾が少女の手足を貫通するシーンのリフレインを始めとして、その情動的な身体表現は勅使河原三郎の体を舞台に投げ出すようなうごきを想起させるのである。
空虚なプロパガンダの言葉をいっさい交えずに、ただ沖縄の少女たちの多感な心象風景(記憶)を反復することによって 残酷無慈悲な戦争の実相を我々に突きつけたのだ。
この沖縄戦をとらえた芝居を満席の圧倒的多数を占めた2〜30代の女性たちが息をのみながら見つめたということは、記憶したい出来事だった。
バンド、クラムボンの原田郁子による音楽も心に残る。
なお、演劇団体名「マームとジプシー」の意味はインタビュー記事などによれば、マームは「母体」という意味合いで、最初から固定された俳優・スタッフをつくる体制ではなく、藤田が母体となり、人から人へ、様々な人と関わりながら「ジプシー(放浪)」するように作品をつくり伝えていくスタイルを表現したものだという。
インドから西へのジプシーの拡散は、放浪しながら訪れた先々で、その土地の伝承、文化をどん欲に取り入れながら、生きるための雑芸能などでサバイバルしていったという歴史で、まさに「マームとジプシー」の今後を暗示しているようだ。8月16日 東京芸術劇場 シアターイースト