映画『パプーシャの黒い瞳』の中のジプシー

  •  東欧はジプシーの本場と言われながら、ことポーランドのジプシーに関してはナチス・ドイツ占領期のホロコーストの文脈で語られることはあっても実際の暮らしがどうであったかについてはあまり情報がない。音楽グループや舞踊団を数多く輩出しているハンガリーやルーマニア、あるいはバルカン諸国のジプシーとは対照的である。その意味で、本作に描かれるジプシーの暮らしぶりは興味深い。そのような気づきのいくつかを取り上げてみたい。
     まず、本編の大半がロマ語で撮られた映画ということで、言葉に注目してみると、簡単な日常語の中に現在のインドの言葉と共通するものがいくつか聞き取れる。「ディク」(見ろ)、「スン」(聞け)、「パーニー」(水)、そして、こんなシーンもあった。
    ジプシーの一族に身を隠すポーランド人の作家で活動家のフィツォフスキが主人公パプーシャの息子に「詩とは何?」と聞かれて、「昨日感じたことを明日思い出させてくれるもの。」と答える。すると、それを聞いたパプーシャがこう切り返す。「ジプシーの言葉では明日も昨日も”タイシャ”よ。」字幕を追っていると一瞬どういうことか戸惑うが、「タイシャ」という語が明日と昨日の両方の意味を表すということを言っているのである。(したがってこの会話では「明日」と「昨日」を区別して言うためにポーランド語が使われている。)
    実は、北インド諸語の「カル」という語も昨日と明日の両方の意味で使われる。日本語の感覚からすると混乱しそうに思えるが、述部の時制によって意味が区別されるためきちんと機能する。昨日と明日を同じ語で言い表す言語が世界中にどのくらいあるかわからないが、興味深い一致だと言える。
     また、音楽に目を転じてみると、「1925年」というテロップとともに描かれるシーンで、パプーシャの一族の楽団がガジョの金持ちの邸宅に呼ばれてパーティーのダンス音楽を演奏しているのだが、この編成が豪華だ。バイオリン5人、ギター3人、ハープ2人、そしてアコーディオン、コントラバス、クラリネット、ウォッシュボード、シンバルが各1人。ハンガリーやルーマニアでは打弦楽器のツィンバロンを使うところを、ポーランドではハープを使っているところが面白い。大型の移動用木箱も画面に映っていて、たびたび演奏旅行にも行っていたことをうかがわせる。そして、かつてジプシーはただ差別されるだけの存在ではなく、このように主流社会と接点を持ちながら、自らの職能を活かして社会の中で一定の役割を負っていたことがわかる。
    もう一点、ジプシー社会の裁判官的役割を果たす長老の存在も見逃せない。ジプシー(ロマ)の社会には「クリス」と呼ばれる長老会議によって部族内の犯罪や揉め事の裁定を図る仕組みがあることが知られているが、まさにそのリアルな会議場面が描かれる。

    インドにも古くから「パンチャーヤト」と呼ばれる長老会議があった。パンチャーヤトは、村内あるいはカースト内の人間関係の調停や財産争い、犯罪の処理や裁定を担っていた。ジプシーにとっての長老の存在についていくつかの文献を調べていたら、次のような興味深い記述があった。
    「ポーランドでは(中略)1948年に、裁き役であり、精神的指導者でもあるゾーガという名前の老人の「大頭目」が存在している。」(ジュール・ブロック『ジプシー』木内信敬訳、1973年、白水社文庫クセジュ)本作で描かれるのが1949年前後であることから、もしかすると映画に登場する長老のことかもしれない。
     最後に、映画の後半に何度か挿入されるワルシャワの街の風景が印象的である。1949年、戦争終結から4年も経つというのに、街は廃墟のままだ。ワルシャワ蜂起の弾圧のためナチス・ドイツ軍がおこなった攻撃がいかに激しかったかを時代考証として描いたということか。そして、1952年のエピソードでは、フィツォフスキの住むアパートの窓から建築中の文化科学宮殿が覗いている。ソ連のスターリンの肝いりで建設が始まったこの威圧的な高層建築物の姿を見るにつけ、ポーランドという国自体が歩んだ苦難の歴史にも思いを馳せずにはいられない。
     映画は4月4日(土)より岩波ホールにてロードショー<5/22(金)まで>ほか全国順次公開される。
    (市橋雄二/2015.2.25)