『はじめての福島学〜開沼 博』〜俗流フクシマ論を越えて

  •   年が明けてから福島のいわき市、広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町,浪江町そして南相馬市などを車で回ってきた。テレビ報道などで激変した富岡などの町並みの様相は見ていたが、やはりカメラの眼、視野の範囲内の限定され、一部強調され、一部薄められたものだったことが実感できた。
    パノラマに広がる無人の街の中にそびえる原発の煙突が太陽に射されて光る様はなんと表現すれば良いのだろうか。
    この辺り一帯は春からの渓流釣り、フライフィッシングの名所で4月上旬になると、木戸川、夏井川、高瀬川などを幾度訪れたことだろう。福島の現実をどのようにとらえればいいのか様々な思いにとらわれる。
    著者のデビュー作『「フクシマ」論  原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)は多くの類書の中で、最も刺激と知見に溢れたものとして登場したのだった。
    それに加えて著者は本新たな地平を切り開くフクシマ論を提示した。世の中の大手マスコミ・ジャーナリズムの多くに蔓延している俗流フクシマ論の正体を明らかにし、真の福島の姿を実証的に、噛み砕いて分かりやすい言葉、表現で現してくれた。この書の持つ平明さは明晰な分析と考察が生み出したもので本著の最大の功績である。
    ステレオタイプ化している福島の問題として、著者は「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」「子どもたち」の6点セットの言葉をあげ、これらを適当に組み合わせて文章や話をするだけで、福島を語ったような気になっていると喝破する。福島に在住し研究するものとして、こうした俗流マスコミ、評論家、学者の無責任な言動がいかに福島の真の姿、現実をゆがめ、謝った偏見をばらまいてきたかを繰り返し述べている。
    福島の現実のエピソードが過剰に物語化されていき、増幅されていって俗流フクシマ論をバブル的に膨張させていったと分析している。
    福島に起きている現実を過大にでもなく、過小にでもなく、科学的・実証的な分析・考察を積み重ねて問題点を明らかにしていき、その解決策を模索する。
    1 復興 2 人口 3 農業 4 漁業・林業 5 二次・三次産業 6 雇用・労働 7 家族・子ども 8 これからの福島  これら8つのテーマに付いて分析を進めているが、それぞれの冒頭に読者への基本的な質問を置いて、それへの答えを展開する形で進む。
    例えば①震災前に福島県で暮らしていた人のうち、県外でくらしている人の割合はどのくらい(正解 2・3%程度) ②福島県の米の生産高の順位は2010年と2011年でどう変わった?(全国都道府県ランキングでそれぞれ何位)(正解2010年が4位、2011年が7位)などと約25の質問し、一般に想像されている常識を次々と覆す事例を提示していく。
    そこには膨大な統計を読み解き、福島を足で歩き収集した県民の生の姿や声から抽出され浮かび上がってきた事実の蓄積があるので説得力に富んでいる。
    我々が日常生活で、新聞やテレビなどから得ている福島の情報がいかに歪んだ姿で伝えられているかが明らかにされ、反省を迫られる。そして全体の論考を通じて明らかになってくる問題点、問いかけは重い。
    「今後20年、30年かけて緩慢に起こるはずだった変化を、原発事故は2、3年のうちに、10倍速で進めた」のであり、福島を始め、宮城、岩手などの被災県に起きている人口、農業、漁業などの問題は、日本列島全体が将来、必ず受ける試練、3・11前から存在していた問題を先んじて突きつけられているのである。
    繰り返すが。こうした諸問題をかなり読みやすい文章で書かれていることが何より嬉しい。学者や一部の知識人などが相手ではなく、「普通の人」が福島の問題、日本全体の問題を考えるためのベースを提供する試みとして広く読まれることを願うのみであり、そうして覚醒した一個人が己の成すべきことを見つけ出してゆくことのみが希望でなければならない(イースト・プレス刊)