直木賞「流」:東山彰良〜台湾人の息遣いと郷愁

  • 視野が柔軟で、懐が深い小説で日本にはなかなか現れない類いのスケール感を湛えた傑作だ
    台湾を中心として中国本土から日本までを含めた現代東アジア史を俯瞰しながら台湾に生きる一家の歴史を描きつつ、主人公(葉秋生)の愛と青春の日々を鮮やかに浮かび上がらせた。
    中国大陸での国共合作や共産党政権の成立、台湾へ移った蒋介石〜そうした激動の時代に生きた中国人、台湾人の生活史を含めた日常がこれほど鮮やかに描かれたことはあまり無いのではないか。
    名作「非情城市」(監督 候孝賢1989年)をなぜか思い起こしたが、全編を貫いている哀調と湿度感が似ているような気がする。
    主人公(葉秋生)の祖父、葉尊麟は国民党に味方し、共産党軍を多数殺戮する破天荒な生き方をしてきた型破りな個性を持った男で、彼の一族を中心にして葉秋生の視点から物語は進む。ある日、祖父が何者かに殺され,その謎解きも伏線としながら、葉秋生の初恋、受験、学生生活、父親、母親、叔父、叔母などがそれぞれ印象的なエピソードを交えながら語られ、そこには笑いあり、涙あり、スリルありの日々が活写されていく。これら以外にも幼なじみの不良連中、町のチンピラやくざなども欠かせない登場人物だ。これらの人物が皆魅力的で、血の通った憎めない人々ばかり。どうしようもない不良との忘れがたき熱き人間関係やそれぞれの歴史を背負った人々の姿が、懐かしい既視感とともに眼前に迫ってくる。日本の道や街角でも頻繁に見かけた光景である。
     主人公(葉秋生)の子ども時代に
    「ランニングシャツを着た祖父は手に碗を持ち、青い朝靄のなかにいる豆花売りを呼び止める。ふたりは朝の挨拶を交わす。豆花売りは碗に熱々の
    豆花をたっぷりよそいながら、またお孫さんにかい、と尋ねる。祖父は、やっぱりあんたの
    豆花がいちばん美味いからね、とかえす。・・・」夜も明けないうちに起き出した祖父が、この豆花を買ってきては食べさせてくれる回想シーンは美しい。
    こうした台湾の庶民群像をヴィヴィッドに浮かび上がらせながら、この小説が単なる青春小説の枠を超えているのは、その背景を流れる中国、台湾の現代史を、生きた等身大の人々の思いとともに描いたからだ。
    登場する人物の奔放な日常会話が小気味よく、いつしか哀切で、アジア的台湾的抒情に満ちた味わいが懐旧の情を呼び起こす。
    印象に強く残った一節がある。 主人公(葉秋生)が初めて祖先の地、山東省に入って間もなく抱く感慨みたいなものだ。
    「中国の地を踏んでまだ間もないが、私は理解しはじめていた。この国は、大きいものはとてつもなく大きく、小さいものはあきれるくらい卑小なのだと。ちっぽけな台湾や日本のような平均化を拒絶する、図太いうねりのようなものを感じた。」
    この思いは中国への数えきれないほどの旅をしてきた私にとっても、十分に納得できる感慨であり、中国という存在を理解する鍵の一つではないかと思っている。

             」