団地に住む父と母と娘(ミチカ)の所に、一年前、川で息子カンタロウを亡くした隣人、原市子が訪ねてくる。ある日スーパーで、ミチカが「カンタロウ君がよく遊びにくるよ」と原市子に話してしまったからだ。息子の好物の「シベリア」という菓子をもって現れたのだ。しかし。ミチカにしかカンタロウは見えない。悩む母。以後、ストーリーは、見えないはずのカンタロウが現れ、憑依現象によりミチカが空中遊泳をはじめ、支離滅裂な展開を見せる。筋立てを追うのもしんどくなり、繰り返されるズレた会話の噴出に身を委ねる。意味を無意味化する意図か。
ミチカが元喫茶店店主に憑依され、次々とミチカの母にめちゃくちゃな要求を繰り出すあたりは、漫才的ボケとツッコミ、振り回されるミチカ人形に翻弄され、右往左往のしっちゃかめっちゃか運動会の様相を呈する。最後はミチカの父が鬼の形相で亡霊たちを退治してめでたし?となる。
芝居の筋を追ってもあまり意味は無く、次々繰り広げられる意外性、言葉の連射、ズレたやり取りの世界に快感を感じとる。
ムーブ町屋という100人くらいで満員になるスペースが熱く反応していた。出演者のなかではカンタロウ君役の川崎麻里子がすっとぼけた味で面白い。
エッジの効いた芝居とはこういうのを言うのか。町屋の小空間で、こうした演劇が続いているのは嬉しいことで、観客たちの感性も含めて、日本も捨てたものではないのである。
作・演出 鎌田順也。