10代半ばから芝居、寄席に通い出し、以後、途切れることなく演劇、寄席の落語など、東西の映画、海外での体験などが玉手箱のように出てくる。年に200本の観劇生活の中から、特に印象に残ったものを選び、記憶の糸を手繰り寄せ、回想した本著は資料的にも貴重な日本近代芸能史の側面もある。そこから浮かび上がってくるのは高度経済成長時代からひた走る日本社会の風俗・社会史的変遷の記憶であり、矢野誠一の青春時代の悩み・喜びが織り交ぜられ、血肉の通った青春観劇記録になっているところが、類書との違いだろう。
その守備範囲の無限広大なこと〜新劇、商業演劇、ミュージカル、落語、宝塚、歌舞伎、ポップス等々に及びながら、その筆致にはツボを抑えながら、己の美学の軸をずらすことなく、柔軟に対象に寄り添う暖かさに満ちている。
1951年、著者が高校生に成り立てに見たジャン・コクトーの「聲」から1997年の「紙屋町さくらホテル」までが収められている。
早熟で、麻布高校の自由な雰囲気で育ち小沢昭一を始めとする仲間たちの影響も受けながら東京で繰り広げられた演劇・芸能の戦後勃興期のただ中にいた矢野誠一が全身で感じ、受け止めた空気感が気持ちよく伝わって、当時の私のことを思い起こしながら、身が熱くなる思いがする。少し遅れきた私のような地方出身者は矢野さんたちの文章を追いかけては東京の空気に染まろうとしていたのかもしれない。
「舞台の記憶」は、2008年6月より2015年9月まで公益社団法人都民劇場の月報に連載されたもの。