「京都ぎらい」井上章一著〜度胸のある、辛い京都論

  • まずタイトルが秀逸である。思わず本を手に取ってしまうインパクトがある。京都には数えきれないくらい行っているが、なんとなく感じていた謎を少し解明できたような気がする。それは、京都人と接する時に感じていた、薄いヴェール越しの感触みたいなものだ。それはもどかしい感じを伴うもので、最終的に相手が何を言ったのかがわからずじまいという体験の正体がこの本を読むことで分かったような気がする。
    著者、井上章一は嵯峨生まれで、宇治に住んでいる。関東に住む人間からすれば、羨ましいほどの環境に育ったと思う人が殆どではないか。井上は言うまでもなく京都を代表する学者の一人とされ、建築史、意匠論など日本文化についての広い分野にわたる研究者である。
    その井上が学生時代に体験したエピソードが暗示的で、衝撃的だ。学生時代、建築研究のため、著者が由緒ある民家を訪ねた時の会話。
    (家主)「君、どこの子や」
    (著者)「嵯峨からきました」
    (家主)「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥(こえ)を汲みに来てくれたんや」
    つまり嵯峨を田舎だといけずを言われたのである。嵯峨は京都と違うんやでと念押しされたような気持ちになったようだ。井上氏は「自分は京都人ではない。」と言い、今もって洛中人から格下扱い受けている気がするという。
    京都の洛中と洛外に住む人々の間に存在する微妙な感情のすれ違いは部外者にはほとんど理解不能なものだ。京都以外の人間から見れば、京都人がどこの出身かということは、気にも止めないことだが、洛中の京都人から見れば、洛外の人間は京都とみなされない田舎の人間だとされているらしい。
    行政上、京都市に入っていても洛中の人々からは京都とみなされない地域があり、碁盤の目以外の地域、周辺部(郊外)、洛外の地は京都扱いをされてこなかったのだ。つまり洛中とは平安京の京城内のことで、碁盤の目の中で、かつて都として機能した地域。洛外とは洛中に続く外縁地域を指したのである。
    伏見区や山科区など昭和になって京都市に編入された縁辺地区の住民の間では、今でも「京都に行く」という言い方がごく普通に使われているという。
    人間は居住する地域に関して、他の地域と比較、対照し、その優劣を気にする微妙な感情に支配されがちである。例えば東京周辺でも千葉、埼玉、茨城に対して「ダサいたま」「チバラキ」といった地域差別はある。たいていは笑いを誘う話題としてではあるが。
    こうした様々な差別意識の表れとして、京都の場合は最高に濃縮された形て表れているのではないか。
    京都という日本文化の粋の集積地で、洛中・洛外の人々の心のひだに分け入り、そこから日本人の普遍的な差別意識の深層を引っ張り出そうという試みにも思え、ある種のスリルさえ感じる。
    井上は言う。
    「出生地のずいぶんちっぽけなちがいにこだわるんだなと思われようか。しかし、こういうことで私を自意識の病へおいこむ毒が、京都という街にはある。」
    「精神の自家中毒を余儀なくされる」 さらには人間には「自分が優位にたち、劣位の誰かを見下そうとする情熱がある」とまで表現する。
    さらに日本中世史を遡れば、そこから被差別の意識の流れが列島の地下水となり、現代に至るのである。
    かくいう井上章一先生も、東京と京都という構図に対しては、洛中・洛外を含めての熱烈な京都びいきになるところがご愛嬌である。
    本著には、洛中・洛外以外にも、京都論の中核テーマともいうべき僧侶と舞子、仏教と寺院、江戸と京都の比較、南北朝時代などについても、井上独自の語り口で興味ふかい独特の知見がちりばめられていることも付け加えたい。
    これだけ多様にわたるテーマを平易な言葉で、率直に、表現できるということは素晴らしい。ともすれば学者は専門用語を多用して、小難しく書くのが特権のように錯覚しているケースが多いが、井上先生の場合は、真の学者は難しいことを、優しい言葉で表現できる人という私の定義にも合致しており、それに加えて俗っぽい言葉も駆使する名人芸も垣間見せてくれる筆力に脱帽であった。(朝日新書)