もちろん、日本列島を襲った東日本震災の未曾有の体験もこの映画には明らかに影を落としている。津波と原発のメルトダウンが引き起こした列島の混乱と絶望。
ゴジラの最初の登場には不意打ちを食らったような戸惑いが生じた。丸いガラス玉のような眼と赤色の体がユーモラスな印象さえ与えるほど。間も無く進化したゴジラは2倍の体となり、体から放射能の熱を赤々と発し、ゴジラそのものの造形であり、その佇まいには様式美のようなものさえ感じてしまうほどだった。
ゴジラの出現で右往左往する日本国家の権力機構が割合、冷静に表現され、首相以下、皆等身大の人間として描かれ、特別、超人的、スーパーヒーローが登場するのでもない。そしてアメリカに対するイメージも、首相のセリフに象徴されるほろ苦い現実を映し出す。
唯一、主人公格の若手政治家がこれからの日本はゴジラと共存していかなければ・・・というセリフが今の日本列島の現実を反映する言葉として、妙にリアルだった。
ゴジラはメルトダウンした福島の第一原子力発電所そのものであり、10万年単位で放射能廃棄物の管理をしなければならないという、超歴史的命題に直面する日本を象徴する存在になってしまった。ゴジラ映画として面白く見ることもできるが、相当に深刻な問題点が内在する怖くて恐ろしい映画である。
ゴジラが東京の中心部を次々に破壊していく様は、なぜかカタルシスを覚えるほどの快感体験だ。高層ビル群にジャンプするようになぎ倒していくシーンは、人間の破壊願望がかくも根深いのかと思わせるものがある。このくらい徹底的に破壊尽くさなければ、次の日本列島再建はありえないくらい日本人の抱える宿弊は深いのか。それにしても破壊マシーン化したゴジラの姿に漂い始める憂鬱そうなイメージはなんだろう。観客の思いがゴジラに感情移入されたのか。
ゴジラは時限ある凍結状態になり、一応の決着を見るが、本質的な解決と思える駆除ではない。
そこには次回作への強い暗示がある。
この映画の最大の見ものはゴジラの圧倒的な造形美の見事さ。そしてラストのエンドクレジットに流れる伊福部昭のあのゴジラのテーマ音楽。この作品が海外に出て行った時の評価を聞いてみたい。