音楽家の危機〜映画『ソング・オブ・ラホール』が問いかけるもの

  •  人間味あふれる中年のローカル・ミュージシャンたちが一念発起してニューヨーク公演を成功させるまでのドキュメンタリー映画である。
    親と子、土着と洗練、緊張と解放など様々な対照が画面に映し出され、観客を心地よく揺さぶってくれる。密着映像やインタビューを編集しただけでは表現することのできない映画的な深みを湛えたドキュメンタリーに仕上がっている。
    日本ではほとんど情報のないパキスタンを扱った映画にも関わらず、多くの観客を引き寄せているのは、そうした魅力によるものだろう。しかし、この映画はそうした感想だけでは終わらせるわけにはいかない重たいテーマをも含んでいる。
     映画では冒頭にパキスタンの国内情勢としてイスラム色の強い政権が成立した1970年代後半から徐々に音楽に対する弾圧が強まり、その風潮がターリバーン(タリバン)登場後過激化している現状が描かれる。映画を見るまでは、そのような実態は知る由もなかった。
     しかし実は、今年6月22日、パキスタンの国民的歌手アムジャド・サーブリーが、南部の都市カラチの自宅近くで乗用車に乗っていたところをバイクの二人組に銃撃され死亡するという事件が起き、小さな記事ではあったが日本のニュースサイトにも載ったこともあって気になっていた。
    アムジャド・サーブリーは、世界的に有名になったヌスラット・ファテ・アリ・カーンのグループよりも先にカッワーリーを世界に紹介した伝説のグループ、サーブリー・ブラザーズのリーダー、グラーム・ファリード・サーブリーの息子で、父や叔父ら先代亡き後はパキスタンにおけるカッワーリーの第一人者として圧倒的な人気を博していた。
    それだけにアムジャドの死は国民な多大なショックを与えることになった。日本に例えるならば、時代は異なるが浪曲界から登場して国民的歌手になった三波春夫や民謡歌手から出た三橋美智也が突然いなくなるようなもので、国民の間の喪失感は大きかったに違いない。
    事件直後はターリバーンが犯行声明を出したとも報じられたが、その後野党MQM(統一民族運動)に関係する人物が逮捕されている。一概にイスラム過激派による犯行と断定はできないものの、映画が指摘している音楽家の危機がまさに今も身近に起こっていることを示す事件であり、単なる死亡記事以上のことを考えさせられる。
     映画はミュージシャンたちがニューヨーク公演後に地元で凱旋公演を開くところで終わる。観衆の大喝采の一方で、物々しい警備の様子も映し出される。映画自体も未だパキスタン国内では公開されていないという。これが日本にいてはわからない世界の現実というものだろう。
    (市橋雄二/2016.10.2)