18歳のすずさんに縁談がもちあがり、1944年、広島市から呉に嫁ぎ、海軍勤務の北条周作の妻になる。のんびりでおっとりした性格のすずさんは絵を描くのが好きで、工夫を凝らして食卓を飾り、衣服を作り直したり、徐々に暮らしぶりが不自由になる家を守りながら健気に毎日を積み重ねていく。
こうの史代の同名コミックを片渕須直監督がアニメ映画化した。原作は第13回メディア芸術祭マンガ部門優秀賞他各メディアのランキングでも第1位を獲得している。
物語は起承転結があるわけではなく、戦時下での一般庶民の些細な日常を丁寧に、淡々と、積み重ねていきながら、すずさんをはじめとして登場する人々の思いに寄り添うように展開する。
夫の両親は優しく、義姉やその娘の晴美も同居している。遊女リンや水兵になった水原との出会いはすずさんの心を微妙に揺らす。呉に対する空襲は激しさを摩し、すずさん自身や、その周りにも深刻な影響が及び出す。そして、あの昭和20年の夏がやってくる。
全編にみずみずしさが満ち溢れ、庶民が営んできた日常の些細な出来事がいかに儚く崩れさるものであるかを知らしめ、されど日常の生活の歴史の積み重ねが、いかに尊く、美しく、貴重なものかを、改めて静かに語りかけている。強いメッセージ性が透けて見えないほど、沈潜しているが、それだけにすずさんの愛らしさ、健気さが胸を打つ。
すず役を演じるのん(本名 能年玲奈)が圧倒的に素晴らしい。テレビで見た「あまちゃん」の快演以来、女優としての潜在力の高さを期待していたものとしては、納得。セリフ、言葉で表現する以上に、不可思議なニュアンスがまとわりつくのがこの女優の魅力であり、大竹しのぶ的な匂いがある。
後半、広島の8月6日のあの日が近づくにつれ、胸苦しい切迫感が溢れ出すが、このあたりの描写も抑制がかなり効いているだけ、説得力がある。廃墟になった広島に入ったすずさんは戦災孤児になった少女を連れて呉に戻る。ささやかな救いが染み入る。
「君の名は。」を見た後での最初の印象は、その圧倒的な風景美と比較してしまうが、水彩画の味わいとさりげなさがあり、当時の普通の日本人の群像や失われいく原風景が暖かく浮かび上がる。
広島や戦時下の日本庶民の原像に迫った作品として、今村昌平の「黒い雨」と並んで忘れられない映画となった。なお、この映画はクラウドファンディングで3374人のサポーターから39,121,920円の制作資金が集まり、「この映画が見たい」という声に支えられ完成した。2016年は「君の名は。」と「この世界の片隅に」という稀なアニメーション傑作を生んだ年として記憶されるだろう。