歌い手の男性がインタビューの中で、自分はかご作り職人の父親と物売りの母親のもとに生まれたと語るシーンがある。2002年にアルメニアのジプシー、ロムの人びとを訪ねた際に首都エレバン郊外で出会ったかご作り職人のことを思い出した。
かご作りはインドの世襲的職能集団(ジャーティ)の一つである。そしてアルメニアはインド北西部を出立したロマの先祖のうちのいくつかのグループがヨーロッパに到達する前に長期間留まった場所で、そうしたグループはかご作りを含むさまざまな職能集団によって構成されていたと言われている。
映画は洞窟フラメンコを生んだグラナダのヒターノ(ジプシー)集住地区サクロモンテで育ったダンサー、歌い手、ギタリストの語りと実演によって進行するが、回想の背景に映し出されるモノクロームの古い写真の中に目を見張る一枚があった。その写真には、もみあげ部分に髪油をつけてカールさせた女性たちが写っていた。この髪型は、2001年にインド、ラージャスターンの砂漠の村で遭遇したジョーギーと呼ばれる門付けを行う職能集団の女性のものとそっくりだ。
こんな記憶も蘇った。別の機会にインドを旅していた時のこと。たまたまホテルの部屋でつけたテレビで、フラメンコとカタックのダンサーが競演する番組をやっていた。番組からは両者の歴史的なつながりを視覚的に表現しようとする制作意図が感じられた。
カタックとは北インドに伝承される民族舞踊で、弦楽器や打楽器の伴奏で踊る。踊り手は足首に小さな鈴をいくつも取り付けたアンクレットを巻いていて、ステップを踏むとシャンシャンと音が鳴る。回転しながら小刻みにステップし、最後に強く床を踏み叩いてキメを作る動作などフラメンコとよく似ている。フラメンコの手拍子パルマで刻むリズムも、北インドに見られるカルタールという2枚板の楽器が打ち鳴らすそれを彷彿とさせる。
このような例を細かく挙げ出すとキリがない。とは言え、もちろんすべてをインドから来たロマが携えて来たわけではない。フラメンコの誕生に、イスラム王朝の支配下アフリカ北部マグレブ地方との文化混淆を経て醸成されたスペイン南部アンダルシア地方独特の音楽や舞踊との接触があったことは言うまでもない。ただ、そこには遠いロマの原郷の暮らしを思わせる要素もまた確かに見出すことができるということだ。
映画は終盤に来て一人の女性ダンサーが見事なクライマックスを作り出す。アルバ・エレディアという名のそのダンサーの切れ味鋭くもしなやかな身のこなしと深みを湛えたその表情は一度見たら忘れることができないほどの衝撃だ。1995年生まれというからまだ二十歳そこそこである。この先の活躍が楽しみな逸材で是非ライブを見てみたいと思っていたら今年の秋に来日公演の予定があるという。これは見逃せない。
(市橋雄二/2017.2.23)