エミール・クストリッツァ監督の新作「オン・ザ・ミルキー・ロード」〜寓話と現実世界の融合

  • 鬼才〜9年ぶりの監督作。「アンダーグラウンド」(95)「黒猫・白猫」(98)などで圧倒的な評価を獲得したクストリッツァは「オン・ザ・ミルキー・ロード」でさらに広く深く、表現世界を深化させた。
    話は戦火の中で展開する愛の逃避行だが、戦乱が日常化している村で運命的な出会いを果たしたミルク運びの男、コスタ(エミール・クストリッツァ)と花嫁(モニカ・ベルッチ)の出会いと別れを重層的で、悲喜劇的で、寓話的な世界に昇華させた。
    主人公のコスタは右肩にハヤブサを乗せ、晴れた日でも傘を差し、砲弾の中、前線の兵士たちにミルクを配達する男だが、村の英雄に嫁ぐために現れた謎の美女(モニカ・ベルッチ)と出会い恋におちる。やがて彼女の謎の過去によって、村が襲われ、二人の逃避行が始まる。
    クストリッツァへのインタビューによれば、ユーゴスラビア、アフガニスタン、ボスニアでの印象的な寓話をヒントに企画されたという。
    頻繁に出てくるオンボロ古時計をスラップスティックの乱痴気騒ぎで描いたり、婚礼前夜の祝祭をノスタルジックなジプシー音楽・バルカンミュージックで歌い上げ、甘い陶酔と幻想性に満ち満ちた世界を現出させたかと思うと、村中が戦火にまみれ、村人が殺されるリアルな描写があり、
    一方ではハヤブサ・蛇・ガチョウ・ロバ・熊・羊などと人間たちとのスーパーコミュニケーションが寓話的に語られる。
    寓話と現実世界との融合が民族調な色彩感の中で展開し、マジカルでリアルな両義性が強い説得力で迫ってくる。祝祭と破壊が同時進行する悲(劇)喜劇。人間が歴史的に、宿命的に内在してきた善と悪の両義性に対する冷徹な視線が垣間見える。
    印象的なシーンは、謎の美女が難民キャンプにいるときに、毎日同じ映画を観て涙を流していた。というシーンだが、この映画な日本では「戦争と貞操」(57)という邦題で公開されたソビエット映画で、原題は「鶴は飛んでゆく」だった。1958年のカンヌ映画祭のグランプリを獲得した注目作だった。
    モニカ・ベルッチがインタビューの中でエミール・クストリッツァのことを「スケールが大きくて、まるで人生を丸ごとガリガリと噛み砕いているような人」と述べているのが印象的だったが、確かにエミール・クストリッツァの世界には、セルバンテスの「ドン・キホーテ」的な匂いも感じられるし、フェリーニのサーカス見世物的な語り口も感じる。ただフェリーニとは決定的に違うのは、知性の含羞とは縁がないということだろう。
    彼、クストリッツァの作品の底流を流れる通奏低音は人間の両義性を超えて、人間と未来を信じたいと願うヒューマニズムへの希求があるような気がしてならない。アイロニカルな知性ではなく鋼の知性がエミール・クストリッツァのバックボーンであり、彼の流麗な語り口、テンポ感に身を委ねながら、クストリッツァのみが切り開いた地平に耽溺できるのは至福の時である。(9月15日TOHOシネマズ シャンテ他ロードショー )