個人的な思い出も重なり、作曲家ショスタコーヴィチ は私にとっても特別な存在であった。入社後に音楽ソフト部門に配属された私が担当したのが、当時のソビエト専門レーベル(メロデイア)で日本でのレーベル名は新世界レコードといった。結局5年間担当したが、その間、編成したのが本著でも特に重要なオペラ作品とされる「カテリーナ・イズマイロワ (ムツェンスク郡のマクベス夫人)」の本邦初発売や弦楽四重奏曲全集などなどショスタコーヴィチ 作品が多くの比重を占めていた。当時の日本の楽界ではショスタコーヴィチは不動の位置を占めてはいたが、レコードのセールス的には厳しい状況だった。
その中でも、弦楽四重奏曲第8番を聴いた時に受けた異様な感動は今でもありありと思い出だせる。類例を見ない音の配列が生み出す究極の情感溢れる旋律に震えた。抒情に満ちた悲劇性。このことだけでショスタコーヴィチの凄さが身にしみたのだった。
本著はショスタコーヴィチが生涯にわたって苦悩し続けたスターリンなどの政治権力と芸術家の関わり合いの詳細に触れつつ、膨大なショスタコーヴィチの作品に丁寧に分け入り、それぞれの作品の音楽的成果と時代の評価のギャップを論じる。その上に、当時のソビエト社会の揺れ動く様相を浮かび上がらせることにも成功している。音楽の専門家でない著者が楽譜にまで検証の手を伸ばす尋常でない労苦を経ての結果である。
著者の執筆動機は
『政治的抑圧が文学や芸術をいかに「変形」していくか、なおかつその不条理な抑圧の中で文学や芸術はいかにその生命力を発揮できるのか、それらの問いに対する究極の答えがショスタコーヴィチ音楽にあった。』ということで、様々な作品を発表するごとに政治権力から示される批判、非難が丹念に歴史的に辿られている。
ショスタコーヴィチと権力側との駆け引きは、著者が「2枚舌」と称するように
「猫とネズミのかけひきのごとき権力とのぎりぎりの心理戦が展開され」ており、結果的には見方によれば、スターリンをはじめとする権力者たちがショスタコーヴィチの超天才、才能に振り回されている構図が逆照射されてくるとも思える。
彼がソビエト社会での象徴的な存在であることは誰も認めていたが、
「ところが彼自身は、もっとも象徴的な存在でありながら、なおもっとも非象徴的な存在であることに内心の支えをみていた作曲家である」
彼の代表作でもある交響曲第五番の著者の解釈は
「社会主義リアリズムの音楽、あるいは勝利の音楽ではなく、スターリン権力そのもののもつ悲劇性を、肯定と否定に揺れうごくおのれのアンビバレンツのなかで体現した音楽、あるいはスターリン権力をめぐる一種のメタ音楽であった。逆説を恐れずにいうなら、そのアンビバレンツこそが、この音楽のドラマを最高の明晰さに変えたものの正体である。」
権力と個人との相克という構図を超えて、ショスタコーヴィチというとんでもない天才の複雑な内面にナイーブな心根としたたかな信条が同居しているさまは万華鏡を見ているようなめまいを覚えるほどだ。今後の文化と権力との問題やロシア現代史などにとっての必携の文献になる本著の誕生を喜びたい。
岩波書店刊。