これまでこの時代を描く映画では、持てる限りの荷物を持って一本の道をすれ違うように東西に行き交う人々の果てしない行列や放火、暴力といった悲惨なシーンばかりが強調されていた。しかし本作では、イギリス人の総督を主人公にすることで新たな視点でこの重い歴史に光をあてることに成功している。当時の建築やインテリア、衣装などの壮麗さも見所のひとつではあるが、マウントバッテンとその家族を軸にしてネルー、カンディー、ジンナーといった政治指導者らが生身の人物として生き生きと描かれ、まるでその時代に居合わせたかのように歴史の断面を見ることができる。
ストイックなイメージのガンディーがややとぼけた好々爺として描かれているのも面白い。さらに総督官邸に仕えるヒンドゥーの青年とムスリムの娘の恋というフィクションを織り交ぜながらエンタテインメント作品としても十分に楽しめる。本作がヒット映画「ベッカムに恋して」(2002年)の女流監督グリンダ・チャーダの手によるものと知って納得する。彼女はロンドン郊外のインド系スィク(シク)教徒の家庭に生まれたといい、それが本作を撮る大きな動機にもなっている。
マウントバッテン卿はインドやインド人に対して共感をもつ人物として描かれる。インドとパキスタンの分離独立が避けられない状況の中、国境線を引くよう指示が下る。しかし、マウントバッテンはヒンドゥーとムスリムが混ざり合って暮らしているところに線を引くことなど到底できないと苦悩するのである。そのとき実は数年前に時の首相チャーチルによって分割線が決められていたことを側近から知らされる。自分は組織の中でただ踊らされていただけなのか。マウントバッテンは愕然とする。このあたりは、企業や組織で働く者であれば我が身を振り返って身につまされるエピソードである。
分離独立を目前にして宗教の異なる人々が同じ地域で暮らしているシーンで、楽団が登場する。ここで楽士たちが演奏しているのが「Dama Dam Mast Qalandar(ダマー・ダム・マスト・カランダル)」だ。スィンド地方(現パキスタン領)のスーフィー聖者ラール・シャーバーズ・カランダルを讃える歌で、宗教歌謡カッワーリーのスター、ヌスラト・ファテ・アリ・カーンが歌ったことから世界的に知られるようになった。ラールはヒンドゥーとムスリムの宗教的寛容を説いたことから、宗教の違いを超えて敬われ、歌われる。ここでは、そうした背景を持つ歌として象徴的に使われている。
マウントバッテンが赴任して約半年後の1947年8月14日にパキスタンが、翌15日にインドがそれぞれイギリスの自治領として独立する。その後、自主憲法を制定して完全に独立を果たすのはインドが1950年、パキスタンが1956年である。分離独立とは言え、すべてのムスリムがパキスタンに移った訳ではなく、そのままインドに留まった人々も多く存在し、彼らは今もヒンドゥーやスィクに混じって暮らしている。2011年のインド人口調査によると、総人口12億のうちムスリムは1.7億、14.2%を占める。
(2018.9.4/市橋雄二)