自由を求めて作られたソビエト時代の「手焼き」のレコード

 デジタルの時代になって使われなくなったが、かつて写真をプリントすることを「焼く」と言った。そのアナロジーからか今日でも音楽や画像ファイルをメディアにコピーする際に、たとえば「ROMに焼く」などと言ったりする。そして、身近な機器を使った少量複製のことを「手焼き」という。先日、「BONE MUSIC展」なる展覧会で……続きを読む

金子兜太、小沢昭一そして大杉蓮の沈黙劇「水の駅」

  金子兜太さんが亡くなった。巨星墜つである。余人に計れないような広大な内面世界の所有者で表現世界の幅も深さも並外れていた。批判も、賛同もかかえ込む巨大な精神の所有者でもあった。 小沢昭一さんが亡くなったときに読んだ句に、小沢昭一氏他界と題して     正月の昭一さんの無表情 というのがあり、小沢さんの内面のある部……続きを読む

竹原ピストル、そして映画「海炭市叙景」

たまたまテレビの音楽番組(「SONGS 魂の叫び 竹原ピストル遂に登場」2017・5・18 10時50分から30分)を見た。スタジオには竹原ピストルを初めて見る観客だけを入れてその反応も調べようとする演出が取られた。 彼を初めて見た気になっていた私は徐々に何処かで見た顔だと感じていたが、彼の音楽が始まるとその力……続きを読む

追悼 永六輔さん

 永六輔さんに初めてお会いしたのは、昭和40年台の半ば以降、1970年代前半だったと思う。小沢昭一さんと放浪芸探索の旅の最中の京都でのことだった。 どこかのホールか、会館の楽屋で永さんを見かけた小沢さんが「永さん、今、僕のレコードを作ってくれている市川さん、、」と紹介されたのが最初の出会いだった。今改めて思い起こ……続きを読む

小沢昭一さんを偲ぶ

小沢昭一さんが12月10日に亡くなってから、14,15日の通夜、告別式に忙殺され心の余裕がないままここ数日が過ぎた。体調の深刻さを知るにつけ、覚悟はしていたが、亡くなってからの喪失感は日々増すばかりである。40年余前に、小沢さんの処女著作「私は河原乞食・考」を読み、衝撃を受け、思わず小沢さんに連絡を取りレコードに……続きを読む